歴史的経験と公共的アイデンティティ

福祉国家による階級対立の解決、EU枠内での国家主権の自発的制限は、こうした相互承認の動きのもっとも新しい例である。1950年からの四半世紀、ヨーロッパは鉄のカーテンのこちら側で、エリック・ホプズボームの言葉に従えば、その「黄金時代」を享受した。この頃から、われわれに共通の政治的メンテリティの特徴が、いくつか認められるようになってきた。人々はわれわれをドイツ人やフランス人と見なすよりも、むしろしばしばヨーロッパ人と見なすようになった。それも、たとえば香港においてだけではなく、テル・アヴィヴにおいてすらそうなのである。
ヨーロッパ社会において世俗化の過程が、他と比較してはるかにすみやかに進展してたというのは事実である。だからヨーロッパ市民は政治と宗教のあいだの越境行為に対し、多くの場合猜疑的である。ヨーロッパ人たちは国家の組織的指導力や制御能力に比較的大きな信頼を寄せている。他方で彼らは市場の機能に対して懐疑的である。彼らは「啓蒙の弁証法」への際立ったセンスを持っており、技術的進歩に対して、いかなるナイーブな楽観的期待も抱いていない。彼らは福祉国家による安寧の保証を評価し、また合意された取り決めを尊重する。個人に振るわれる暴力に対する寛容度は、他に比較して低い。法的取り決めにもとづく多国間の国際秩序の構築を望んでおり、この要求は、改革された国際連合の枠内での効果的な世界規模の内政(ヴェルト・イネンポリティーク)への希望と結びついている。
冷戦の影のなかで恩恵をこうむっていた頃の西ヨーロッパ人たちには、こうしたメンタリティを育むことができる状況があった。その状況は1989/90年以降崩壊した。だが2003年2月15日は、それにもかかわらずこのメンタリティそのものが、その発生条件を超えて今も生き続けていることを示した。そのことはまた、なぜ「古いヨーロッパ」が、自らと同盟関係にある超大国の強引な覇権政策を、自らに対する挑戦であると感じたのかを説明している。そしてなぜ、ヨーロッパでこんなにも多くの人々が、一方ではサダム・フセインの失脚を解放として歓迎しながら、他方ではこの一面的で先制攻撃的な侵略、混乱した不十分な根拠付けしか持たないこの侵略行為の、反国際法的な性格を拒絶したのか、ということをも説明しているのである。だがいったい、このメンタリティはどれほど強固なものなのだろうか?それは歴史的体験と伝統のなかに深く根を下ろしているのだろうか?
今日われわれの知見によれば、自然発生的であるかのような外見によって権威を得ている多くの政治的伝統が、じつは「発明」されたものなのだ。それに対し、ヨーロッパのアイデンティティなるものがあり得るとすれば、それは公共性の光のなかで生み出されるものであって、はじめから人工的な性格を持っている。とはいえ、たんに思いつきで作られたものでしかないのなら、それは恣意性という傷を持つはずだ。われわれの政治的・倫理的意志は、ヨーロッパ内部でのコンセンサス形成過程を解き明かす解釈学のなかで起動するものであって、決して恣意的なものではない。歴史的遺産として受け入れるべきものと、拒絶すべきものとを選り分けるには、遺産を書きしるした原文を異本校合によって確定すると同様の、細心の注意が必要だ。さまざまな歴史的経験は、自覚的に学び取られることこそを求めている。というのも自覚的な習得ということなしには、歴史的経験はアイデンティティ形成力を持ち得ないからである。