複数の歴史的経験と社会

自覚的に習得されることをもとめて名乗りをあげているこれら「立候補者たち」について、最後にいくつかのメモを書きとめておこう。こうしたさまざまな歴史的経験から光をあてれば、ヨーロッパの戦後メンタリティの顔立ちがいっそう鮮明に見て取れるだろうからである。近代ヨーロッパにおいて国家と教会との関係は、ピレネーの向こう側とこちら側で、アルプスの南と北で、ライン川の西と東で、それぞれに異なった展開を見せた。国家権力は世界観に関して中立であるべきだという理念は、ヨーロッパのさまざまな国々においてそのつど異なった法的形態をとった。しかし市民的社会(ツイヴィーレ・ゲゼルシャフト)の内部ならばどんなところでも、宗教はひとしく非政治的な位置を占めている。信仰のこのような社会的私有化を、別の観点から嘆かわしく思う人もいるかもしれないが、政治を支える文化にとって、それはのぞましい結果をもたらしたのである。ヨーロッパというわれわれの空間のなかでは、大統領たるものが公的な祈りによって日々の職務を開始し、自らの政治的決定の成功を神に授かった使命に結びつけてみせる、などということは想像もつかない。
市民社会(ピュルガーゼ・ゲゼルシャフト)がその後ろ盾となっていた絶対主義政府から解放されたとき、この解放はヨーロッパのすべての地域で近代行政国家の成立ないしその民主主義的な変革をともなったわけではない。だが、フランス革命の理念的な輝きはヨーロッパ全体を覆いつくした。そのことがとりわけ大きな理由となって、ヨーロッパでは政治というものが二様の姿で――自由保護の手段として、および組織化する力として――肯定的に利用されてきたのである。これに反して資本主義の導入は鋭い階級対立と結びついていた。その記憶が障害となって、市場については、政治に対するような先入見のない評価を下すことができなくなっている。政治と市場とをそれぞれ別に評価するようになれば、国家が持つ文明化し組織化する力に対するヨーロッパ人の信頼は、いっそう強められるかもしれない。国家によって「市場の機能不全」を修正することも、期待できるのである。
フランス革命に由来する政党システムは、くりかえしコピーされてきた。しかしこのシステムがイデオロギー同士の相互批判のために活用され、資本主義的近代化がもたらした社会病理現象に対して不断に政治的価値判断が加えられるようになったのは、ヨーロッパにおいてのみである。このことが市民の感覚を、進歩というものが持つさまざまなパラドックスに対して敏感なものにした。保守的な見解、リベラルな見解、社会主義的な見解が対立し合っているとき、問題になるのは次の二つの観点からする比較計量である。――既得の伝統的生活様式が解体されることによって生じる損失と、幻惑的進歩の理念がもたらすものと、どちらが大きいのか?あるいは、今日の破壊過程がその生みの苦しみを通じて明日のために約束している利益と、近代化のなかでの敗者の苦しみと、どちらが大きいのか?
ヨーロッパにおいて、長いあいだ解消されなかった階級間格差は、当事者たちによってひとつの運命のように受け取られてきたが、唯一それを回避しうるのは集団的な行動によってであった。だから労働者階級の流れのなかでも、またキリスト教社会主義の伝統的な運動のなかでも「さらなる社会的公正」をめざす連帯的な闘争倫理、扶助の平等を目指す闘争倫理が貫かれ、作業能力に応じた適正な分配を主張する倫理――極端な社会的不公正をも許容する個人主義的倫理に対抗してきたのである。