ホロコーストの確認

今日のヨーロッパには、20世紀の全体主義政治の経験とホロコースト――ナチス政権が、その被占領国の社会をもまきこんで遂行した、ヨーロッパ・ユダヤ人の迫害と絶滅――の痕跡が刻み込まれている。こうした過去についての自己批判的な議論が、政治の倫理的な土台となるものを記憶のなかに呼び戻した。人格的・身体的な不可侵性の侵害に対する感受性が高められた。欧州理事会およびEUは、死刑廃止を加盟のための条件として掲げるにいたったが、それはこのことの反映なのである。
主戦論が支配した過去は、かってヨーロッパのすべての国民を血なまぐさい抗争に巻き込んだ。相互に対抗する軍事的・精神的動員を経験した彼らは、第二次世界大戦後に、次のような結論にたどり着いた。すなわち、あらたな超国民的共働(ズープラ・ナツイオナール)の諸形式を作り出すこと。国家暴力の行使をコントロールするためには、グローバルなレベルでも、主権の行動範囲を相互的に制限することが必要だ――EU成功の歴史はヨーロッパ人たちに、このことをいっそう強く確信させた。
ヨーロッパの大国はいずれも帝国的な勢力拡大の繁栄期を体験し、次いで――われわれの文脈からはこの点のほうが重要なのだが――帝国の喪失を骨身にしみて体験しなければならなかった。この没落体験は多くの場合、植民地領土の喪失と結びついている。帝国的支配と植民地の歴史から時代が隔たるにつれて、ヨーロッパの国々は、自らに対し反省的な距離を取る機会を与えられた。こうして彼らが学び得たのは次のことだ。人々に強制され人々を根こぎにしていった近代化の暴力――その暴力の責めを負う、勝者といういかがわしい役割のなかに置かれた自分自身を、敗者の視点から認識すること。ヨーロッパ中心主義からの離脱を促進し、世界規模の内政(ヴェルト・イネンポリティーク)へのカント的な希望に力を与えたのは、ほかならぬそのことであったのかもしれない。 -了-

ジャック・デリダ、ユルゲン・ハーバマス