客観的考察力の貧困によって引き起こされてる人権侵害

なんだって「人権」などという大上段の概念を今更、このようにくどくどと記しているのかといえば、政治家・マスメディアなども含めて、スキャンダル・スペクタクルを主眼とした言を左右にした感情的煽動なお遊びがすぎて、問題の本質の矮小化・掛け替えという重大事態に、きっちりとした考察・判断→腰を据えた対処・観察検証がなされなさすぎなまま、世間挙げての問題感情消費→何の改善無状態に陥る一方で事態は益々悪化していることはなはだしいと考えたからだ。
ちよっと前に沸き上がった「国籍法改正反対」説に見られるように、「市民的、文化的、経済的、政治的、社会的権利」といった観点からではなしに、人権より既得秩序を重視する「国籍不正取得」というかなりアクロバットな局例に針小棒大的執着することによって既存「国籍法」そのものの正統性を全面主張する言動に引きずられる、疑似科学陰謀論慰安婦問題等の歴史修正主義問題にみられるような自説に都合の良い「狭義の前提」を重点として論調創作するロジック、小が大を兼ねる・一時が万事的ミクロな恣意的判断は、国籍取得という形の対象認知による包括的民主主義の重層的実現という基本人権そのものを、裁量者の恣意的理由づけでもって国家が人権保障を拒否することに加担してるに他ならない。
度々拙はてダでも指摘しているように、「貧困」問題を主眼とした公的データ採取そのもが欠如したまま、たまたま目についた表に現れた1現象をあらかじめ関心嗜好している「個々の事情」斟酌によって事象断片化した上で全体印象批評してしまう、客観的包括的傍証・多視点検証をオミットした一方的な「共感/反感」、半径数メートルの自己エリアで判断し表明・感情増幅される「我思う故に思ったこと正当なり」的自己経験主体主義(決断主義)的言説の跋扈やそれへの忖度同調強要によるセクト滞留化、「財政健全化」一本槍で続々削減され利用制限が狭められた様々な社会保障や、フォローなき契約切れ・雇い止めや男女差別やそれを告発する手続き等の旧来の慣習を踏襲する社会の中核的既得権益階層への波を立てる者の「自己責任」神話正当化によって、行政府・企業等の制度整備義務の施行&説明責任の怠慢の隠蔽と共に、人権侵害の結果としての「貧困」は自他認知を得られずに営々隠蔽され放置されてきたと言えよう。>知らしむべしよらしむべからず