明確な権利実現義務の遂行を、特定関係機関に要求する

・人権と不完全な義務
しかし、完全な義務という形で、権利と義務の厳密な結びつきを主張するのには、もう一つ別の理論的根拠がある。権利の実現を保証する義務が存在しないのであれば、われわれはどのようにして実際に権利が実現され得ることを確信できるのかという問いかけが可能である。この議論は、いかなる負の権利も、それに対応した権利を実現させる特定の機関の明確な義務がなければ、有効ではないと主張するためのものである。
完全な義務の遂行が権利の実現に多大な貢献をするであろうという推論は、確かにもっともらしい。しかし、なぜ、実現しない権利は存在しなくてはならないのか。「これらの人々にはかくかくの権利があるのに、なんとそれらの権利は実現されてはいない」と慨嘆することに矛盾はない。アマルティア・センが論じてきたように権利の実現の問題は、それが存在するか否かという問題とははっきり区別されねばならない。権利が実現されていないことから短縮的に権利それ自体の存在、あるいは妥当性の否定にまで至る必要はない。権利が実現されていないのは、まさに、義務を果たすべき者がその遂行を怠るがためであることが多い。
法律的な議論においては、多くの場合、人権は、権利、権力または特権をもっている者達に利益をもたらすものとして支持されている。しかし、すべての人にとって普遍的で欠点のない人権の実現が非常に困難であったとしても、こうした権利を明確に表明することは、それを擁護している非常に多くの人々からの支持を結集することを促す。たとえある特定の権利の実現を託されている特定の個人や機関がない場合でも、不完全な義務を明確に表明することは、規範の重要性を主張するとともに、他人の責任ある行動を要求することになる。