相違に関する神話を一掃する

市民的、政治的権利と、経済的、社会的、文化的権利はしばしば対比され、そしてこれらの評価に対して非常に異なった取組みをすることを正当化するために利用される。しかしこうした対比の多くは神話に過ぎないとして、報告書は4つの論点を挙げる。

【神話1】:市民的、政治的権利はすべて消極的権利であり、経済的、社会的権利はすべて積極的権利である。
そうではない。これら二つの種類の権利を尊重し、保護し、実現するための積極的と消極的な義務が伴うのである。公正な裁判権の確保には、裁判官の独立を保つために十分な訓練と給与を提供する過程を含んでいる。住居権の確保には、強制立ち退きを避け、人々の住居の利用を妨げないことを含んでいる。
【神話2】:市民的、政治的権利はただちに実現されるが、経済的、社会的、文化的権利は除々に実現される。
そうではない。拷問行為はただちにやめされなければならないが、警官を訓練し、囚人監視制度を確立し、提訴された事件を調査することにより、二度と拷問が行われないようにするためには、時間と資金を必要とする国もある。これに対して、中等教育への就学率を上げることは財源次第であることもよくあるが、同時に教育において性別、宗教、人種によって差別している法律もただちに撤廃しなければならない。
【神話3】:市民的、政治的権利はすべて無料であるが、経済的、社会的、文化的権利はすべて財源を必要とする。
そうではない。自由で公正な選挙を実施するには費用がかかるかもしれない。しかし、単に住宅や保健に関する差別的法律を撤廃するだけなら費用はかからない。
【神話4】:市民的、政治的権利の指標はすべて質的表現によるが、経済的、社会的、文化的権利の指標はすべて数量的な統計で表わされる。
そうではない。統計は拷問の程度、裁判所内の状態、政治的参加を測定するために重要である。質的表現は、たとえば借家人の権利を保護する法律の適切性を測定するのに有益であるかもしれない。

こうした神話を一掃してみると、市民的、文化的、経済的、政治的、社会的権利にはその根底に類似点のあることは明らかであり、指標や指数を設定するための共通の手法が必要となる。