国家による在民管理制度

入管法」とは「戸籍」管理外の国内在住/在留の非日本国籍者管理なのである。だから、「戸籍」制度と「入管法」がセットになってようやっと、国内の全ての在民管理が成り立つ。すなわち、国家制度に於ける排外主義を考えることは、国内制度を、誰を国民成員として受け入れ誰を他者=外人として排除しているのかを考えることになるのではないだろうか。

第二条:出生による国籍の取得
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、
又は国籍を有しないとき。

第三条:認知された子の国籍の取得
父又は母が認知した子で二十歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。

第四条:帰化
日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。…

国籍法 昭和二十五年五月四日 法律第百四十七号
http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

過去、何故植民地に「創氏改名」を断行したのかというと、そもそも「戸籍」というものが構造原則としている「家」という思考が原点にあるだろう。
秀吉は貴族スジに養子縁組することで関白称号を、家康が征夷大将軍の号を貰う為に家系を買って源氏スジをでっちあげたようにid:hizzz:20050510#p1、武家頭領なら頭領スジの家系つながりでなければならなかった。御一新で四民平等となったのち武家以外の者に「平民苗字許可令」1870年(明治3年)太政官布告をのちに「平民苗字必称義務令」1875年(明治8年太政官布告*1で帝国民すべからく苗字を持たせた(一家一氏の原則)のは、平たく言えば秀吉や家康の延長といって良いだろう。すなわち、天皇大親とし天皇家を本家とし帝国民を皇民分家とし、日本列島を「一つの大きな家」に見立てて一元管理する「帝国」家父長体制を成り立たせる為には、同じ祖先をもつ家族の集団=「氏」*2として一族纏めることが必要となったのである。家系を同じくする(同じ字を持つ)累系な人々の祖先は「氏神」であり、その各地「氏神」の大頭領が皇祖・天照大神という算段である。*3
戸籍は戸にそれを代表する「戸主」を置き、戸主は戸内の総人員の姓名/年齢/戸主との続柄/職業/宗教(寺/氏神など)*4、を申告しなければならないとされた。戸籍は戸主が変わるたびに改製され、また脱漏を防ぐため6年に1回改製されることになっていた。

夫レ全国人民ノ保護ハ大政ノ本務ナルコト素ヨリ云フヲ待タズ、然ルニ其ノ保護スベキ人民ヲ詳ニセズ、何ヲ以テ其保護スベキコトヲ施スヲ得ンヤ、是レ政府戸籍ヲ詳ニセザルベカラザル儀ナリ(中略)人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ニモノハ政府保護ノ庇印蔭ヲ逃レ其数ニ漏ルヽモノハ其保護ヲ受ケザル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ、此人民戸籍ヲ納メザルヲ得ザルノ儀ナリ

戸籍法前文 1871年明治4年)制定

1872年(明治5年)に戸籍編成作業が完了したことにちなんだ干支から『壬申戸籍』とも呼ばれた。しかし従来の「家」は封建的家父長制と儒教道徳の混合物であるとされるが、廃藩置県の前に施行された同法は、それが目指すところと現実的「家族」との間には差異があった。そのため、本来は「家族」の範疇外にある非血縁で家族関係にない者(郎党や子飼)を「附籍」に記載して妥協を図ったりした。
そして大日本帝国が日本列島=内地を超えて外地に拡大すると共に、各外地域民を併合し、台湾・朝鮮半島に戸籍制度を適用した。しかし、外見にそんなに差がない東アジア人同士、言葉や風習仕草を覚えてしまえば判別付かない。*5 又id:hizzz:20080401#p2で書いたとおり日本のアバウトな養子制度などの慣習でミックスしないように、各植民地ごとに「民籍」=外地戸籍という形をもたせ本籍移転禁止して、帝国民として完全に戸籍統一はされていない。*6 ことに流動化が激しかった満州では戸籍制度が作れずに、指紋押捺住民登録が実質的に在民管理の役割となった。

・『家族と国家―家族を動かす法・政策・思想』利谷信義
・『戸籍と身分登録 (シリーズ 比較家族)』利谷信義/鎌田浩/平松浩

*1:平民にとっては日常必要ないので使わなかった

*2:ファミリー・ネームは、氏/性/苗字・名字と来歴により様々の名称があるが、法令用語は「氏」

*3:したから、ホントは靖国なんぞより伊勢参拝の方が、天皇制家族国家への忠誠としては本筋になる。

*4:明治16〜7年頃消滅

*5:実はこのことが、今日に至るまで「日本」同類項で限りない疑心暗鬼を発生させる根拠となっているのであろう。

*6:とはいえ従来風習に則り、転籍禁止は父系のみ。