戸籍と出入国管理と「在日」

1945年、12月6日付法務府民事局長通達「朝鮮又は台湾と内地間における父子の認知について」で、「朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めて全ての日本国籍を喪失する」と、最初のラインが政府内で定められた。
続いて1947年、大日本帝国憲法下で公布された最後の勅令(ポツダム勅令)として、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」として、外国人登録令(勅令207号)が制定。これがのちの外国人登録法の前身となる。

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外国人登録令」1945年勅令第五百四十二号
http://www.moj.go.jp/SYOKAN-HOREI/horitsu4.pdf

これに基づき「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」1952年4月28日法律第126号で、1945年9月2日以前から引き続き日本に在留する「民籍」者は、サンフランシスコ講和条約=平和条約発行日の1952年4月28日以後、本人の意思に関わらず日本国から一方的に日本国籍剥奪させられ、外国人とみなされたのである。また、それと共に当該人と婚姻した日本人女性も、日本国内/元植民地関係なく全て配偶者国籍に自働的に倣わされた。つまり外地移住者だけではなく代々日本国内にずっといた者も日本国籍剥奪となったのである(戦争花嫁問題)。*1 また、その両親から生まれた子供は、自動的に父親の国籍者となった。*2「平和条約*3の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」1952年4月19曰付民事甲籍438号各法湾局長、地方法籍局長宛民事局長通達
しかし、「領土変更の場合は、住所地領有国の国籍を推定する」国際法*4 やヨーロッパの戦後処理から鑑みてもこうした場合、旧宗主国と旧植民地国の両方の国籍資格があるのであり、複数国籍保持かどれかを選択する権利は当該人が保有しているものであって、国が一方的に召し上げたり与えたりするものではなかった。が、日本政府はそうした二重国籍者が出てくる機会を排除した。それは他でもない、国体保持=「天皇制」存続の為であろう。そして、旧植民地の台湾や朝鮮半島に於いても国籍は父系血統主義であり*5、その当時は祖国に戻り再建に貢献することが国民の第一義務と考える者が多数で問題は見過ごされた。大韓民国とは1965年に、帰化申請の促進を含めた永住に関する「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」を盛り込んだ日韓条約を結んだ。韓国籍を持つものには25年間の日本在留を認め、韓国国民で1966年から5年間で申請した者とその子供には、日本の協定永住権が与えられた。とはいえ、指紋押捺義務制度と外国人登録証明書の常時携帯・呈示義務制度は外国人登録法に基づいて課せられていた。
高度成長で生活が安定してきて日本に定住したり帰化する者が多くなった1985年の国籍法改正では、従来父親からしか取得できなかった国籍が母親からでも可能=二重国籍が未成年の内は可能となり、*6 帰化が促進された。
難民条約&国際人権規約批准にともなう改正である1991年「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」=入管特例法により、日本降伏文書調印日(1945年9月2日)*7以前から引き続き日本(いわゆる内地に限る)に居住している平和条約国籍離脱者朝鮮人/韓国人及び台湾人)とその子孫を「特別永住者」とした。社会保障制度が外国人にも適用され国民年金&健康保険(大韓民国籍者は1965年協定で既に健康保険加入や生活保護申請可能)に加入出来るようになった。

在日韓国・朝鮮人の属人法に関する論争 趙慶済
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/07-2/cho.pdf
重国籍−我が国の法制と各国の動向 国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200311_634/063403.pdf
ヨーロッパ諸国の国籍法 グローバル市民権の会
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4037/countries/europe/eu-cl-short.htm
各国で異なる重国籍の扱い グローバル市民権の会
http://www.gcnet.at/countries/variety.html

国連・国際人権自由権規約委員会が幾度となく勧告を行っていた指紋制度は2000年に全廃された。が、しかし、これは911以降の「テロ対策」という形を変えて復活してきた。2006年入管法改定により、新規入国者からの顔写真・指紋データが採取されだした。>US-VisitでのICPOデータ共有
US-VISITに関する情報 在日米国大使館
http://tokyo.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-usvisit.html

この制度は、テロ対策を主たる目的として、06年の通常国会で導入が決定されたものであるが、そのさい国会審議は十分になされたとは言えない。たとえば、
・指紋情報という生体情報に関する取得・保管・利用・廃棄について、明確な法律による規制がないままでよいのか
・指紋・写真以外に提供させる個人識別情報の種類を、すべて省令に委任してしまってよいのか
・生体認証技術は、本当に信頼性を有しているのか
・「テロリスト」の定義や認定方法は、明確と言えるのか
・外国政府との情報交換に制約が及ぶのか
など多くの疑問が残されたまま法案は可決・成立したのである。また、国会審議における政府関係者の答弁や認識に食い違いが見られ、十分な事前の準備がなされていない実態も明らかとなった。さらに、法案成立以後、1年以上の期間があったにもかかわらず、以上の疑問点について明らかにされることもなかった。

…たとえ「テロ対策」を名目にしていようとも、人権の尊重という国家の義務から自由ではない。この点は、「テロ対策」に関わる国連の議論や国際会議においても繰り返し強調されてきたところである。また、このような外国人の管理が、「テロ対策」の名の下に、特定の人種・宗教・民族集団に恣意的に不利益をもたらす危険性、すなわち人種的プロファイリングという人種差別の一形態となるおそれは否定しがたい。

「『日本版US-VISIT』施行の中止を求める!」アムネスティ・インターナショナル日本
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=394

日本版US-VISITの停止と見直しを求める 反住基ネット連絡会
http://www.juki85.org/statement/20071120Statement.html

*1:日本人夫を持つ「民籍」女性は、1952年講和条約発効するまで婚姻入籍して日本国籍者となれた。

*2:大韓民国朝鮮民主主義人民共和国は樹立した1948年建国したが、のちに韓国籍取得しない者を含め、朝鮮民主主義人民共和国籍とは別の旧「朝鮮」地域民として朝鮮半島人は「朝鮮」籍に一括登録された。台湾人は「中国」籍扱いだったが、09年7月の入管難民法で「台湾」籍に改正。

*3:1952年サンフランシスコ講和条約

*4:1930年ハーグ条約「重国籍条約、国籍法抵触条約」http://www.gcnet.at/un/hague-1930.htm 

*5:父母両系血統主義に制度変更したのは、北朝鮮民共和国1963年、中華人民共和国1980年、大韓民国1997年。

*6:成人以降どちらかを選択することとして基本的には二重国籍を認めていないが、二重国籍を容認している当該他国に離脱届を出さずに過ごしている複数保持者もいる。

*7:国際的には、日本の終戦は8月15日ではない