2008-03-02から1日間の記事一覧

近代・明治以降:皇軍思想としての武道

1876年(明治9年)、廃刀令公布で帯刀禁止。山岡鉄舟『武士道』1860年は、以前には「武士道」という言葉すらなかったとして、剣道の極みとして「形か、心か」「善を知ることか、善を行うことか」という問をたてて、心を主体とした神儒仏三道融和の道念として…

近世・江戸:官僚侍の武芸

id:hizzz:20050514以前さんざん書いたが、経歴でっちあげて「征夷大将軍」徳川幕府。大久保(彦左衛門)忠教『三河物語』1622年は、将軍家として遠くなった主君との関係を、艱難辛苦を共にした三河時代から語ることで子孫たちに徳川への忠勤を説くが、武訓と…

中世〜戦国時代:ご恩と奉公武術

いわゆる「日本刀」といわれる奴、鎬造りの彎刀が完成したのは平安中期。合戦の日時と場所を予め使いをおくって「宣戦布告」する儀礼をやりだした。「侍」や「武士」はあれど「武士道」という言葉は、中世ではほとんど使われてない。『太平記』には、「弓矢…

「戦闘者」=「本来の武士道」は、何故おかしいのか。

『武士道の逆襲』菅野覚明は、「武士らしい武士とは何かを追求するのが武士道」と武士道を説明。具体的な「本来の武士道」として、江戸期の「葉隠」的武士道と、「戦闘者」思想を江戸・太平の世に合わせた儒教的「士道」の2つに設定。そして明治期以降の西…