大麻規制はデュポンの陰謀???

id:inumashさんが「日本で大麻が禁止されている本当の理由」は「アメリカに言われたから」とした趣旨の記事で、米国が大麻規制したのは「合成繊維/化学薬品振興のため『マリファナ課税法』が成立」したのが事の始まりとしている。

米国内の産業転移を促進する目的で始まった大麻への課税措置がさまざまな要因(恣意的な情報操作や法の問題含む)により全面的な「大麻禁止」へと転化し、それがそのままトレースされる形で日本に適用された、というのが大まかな筋書きです。
・合成繊維/化学薬品振興のため『マリファナ課税法』が成立(アメリカ)

・恣意的な情報操作などにより大麻を全面的に禁止する『大麻取締法』が成立(アメリカ)

・敗戦により『ポツダム省令』が制定。大麻の使用や栽培が全面禁止(日本)

農林省の働きかけにより、大麻の取り扱いを別枠にした『大麻取締法』が成立(日本)

「日本で大麻が禁止されている本当の理由【追記】」
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20081116/p1

コメント欄に「デュポン絡み」「デュポンがパルプリフォーミングのパテントを取ったていうのがトリガー」という示唆があり、inumashさんはさらに「その他の産業からの移転効果なんかも狙って」いたとその説を肯定されている。ググってみると大麻解禁派ではそこそこ流通してるようなので、またまたビックリ。みんな麻のことや、紡績・製紙・化学産業知らなすぎ!

1.産業麻と吸引麻の違い
一口に「麻」と称されているが、産業用繊維資材と一部吸引にも用いられたものではまったく品種が違う。産業用には、亜麻・苧麻・亜麻・黄麻・剣麻・青麻・洋麻・サイザル麻・マニラ麻・ヘニケン麻・ニュージーランド麻・マゲー麻・カントン麻・モーリシャス麻など沢山種類があり、そのなかで家庭用品品質表示法(JIS規格)で『麻』表示が認められているのは、亜麻科「亜麻(繊維:Flax、糸:Line)」主産地:ロシア・東ヨーロッパ・フランス・ベルギー・アイルランド・中国、イラクサ科「苧麻(Ramie)」主産地:日本・中国・韓国・インドネシア・ブラジルの2品目。この他にメジャーなものとしては、シナノキ科「黄麻(Jute)」主産地:インド・バングラデシュパキスタン・タイ・ミャンマー・ブラジル。
それに対して、大麻取締法栽培免許がないとつくれないのが、クワ科「大麻(Hemp)」。かっては衣料や黄麻の代替繊維として使われたりしたが、許可制で僅少高価となり神事慶事などの特殊資材向けとなった。

2.圧倒的シュアの綿と麻
1.で書いたとおり、昔も今も麻の原産・主生産地はいずれも米国ではない。
天然繊維を駆逐して化学繊維に変換させる「産業移転効果」というのならば、なによりもターゲットはアオイ科「綿花(Cotton)」であろう。現在4種に分類されている内2種が、米国生まれである(ペルーとメキシコ南部が原産)。その綿花栽培こそ米国奴隷制度の根幹であった。

3.麻と合成繊維の価値格差
麻は最古の衣料繊維ではあるが、夏用衣料、レース、ハンカチ、テーブルクロスなど、綿よりも昔も今も高級素材として扱われており、合成繊維のそれは安価な代用品としての地位に留まり「駆逐」には至っていない。
硬質繊維で作られる麻袋、縄、ロープ、テント、ホース、帆布、漁網といった産業資材用が、現在では殆ど合成繊維となっている。

4.製紙に於ける麻と木材の価格格差
古い製紙法は麻頭(大麻の上枝)、敝布(麻織物のぼろ)などで紙を作ってた中国から各地に伝播するが、欧州で19世紀前後に抄紙機と木材パルプが発明されると、供給不安定な資源ゴミであるボロ布より、どこの国でも豊富にある木材のほうが遥かに安価なので急速に普及した。日本では、麻よりも楮・雁皮・三椏から紙をすいていた。明治に入って渋沢栄一が1872年に、王子製紙(株)の前身である抄紙会社を設立し、木材パルプを原料とした製紙が始まる。
合成紙は、1851年ロンドン万博で「アルカリパルプ」が登場した。
「デュポンがパルプリフォーミングのパテントを取ったていうのがトリガー」というならば、1937年『マリファナ課税法』以前の米国の紙はボロ布製紙だったんでしょーかね???
独1853年硫酸紙(トレーシングペーパー)1936年ビスコレーヨン繊維紙、米1857年亜硫酸パルプと簡単で安いものが欧米で開発された位で、産業転換をもたらす程の業界トリガーとなりそうな特許は1930〜1950年(大麻取締法施行前後)を見ても、デュポン&米製紙業界には見当たらない。

5.森林保護と植物紙
林保護が環境問題化するのは1980年代以降。
代替原料として、アオイ科「洋麻(Kenaf)」が脚光をあび、90年代エコブーム時に国内各社から紙製品化されてバガスや竹と共に販売しているが、年1収穫で連作障害がある為に安定大量需要に向かず、ピュア木材パルプよりはるかに高価でファンシーペーパー並*1

GHQ/PHW(公衆衛生福祉局) Weekly Bulletin復刻資料
http://www.rekishow.org/GHQ-PHW/
北米産業用麻協議会
http://naihc.org/NAIHC_overview/index.html
紙パルプ技術協会
http://www.japantappi.org/kyoukaiannai_3.html

*1:製紙各社の古紙混合偽造で今夏ニュースとなったが、植物紙製品でも同様の配合偽装がおこなわれてた

1950年前後の米国社会不安と保守化

ちなみに日本の大麻規制の経過は、1947年2月「繊維を採取する目的による大麻の栽培に関する件」GHQ覚書→4月 厚生・農林省令第1号「大麻取締規則」→1948年「大麻取締法」成立。1945年9月2日ポツダム宣言受諾した日本は、GHQ管理下に1952年4月28日まであったのであるから、その間の全ての内政規則はGHQ統治下にある。したがって、「アメリカに言われたから」とするinumashさんの趣旨そのものは問題はない。変なのは取締規則に影響をもたらした米国社会の捉え方である。
id:hizzz:20080315で書いた通り、1924年の割当移民法で外国からの移民は制限されたものの、南部から東北部・中西部の大都市へ黒人が移住した。また、ヨーロッパからの移民も第二次世界大戦の激化とともに増加の一途をたどり、大都市圏が発展した1950年代にかけては、“Dual Migration”と呼ばれる人種・社会的地位の相違に応じた棲み分け、中上流白人は都市を脱出して郊外へ、農村黒人・アジア系・ヒスパニック・貧困白人が都市中心に移住し貧困再生産で都市スラム化が始まった。彼ら貧困層の社会的上昇移動のチャンスはきわめて限定されていた。それにより、差別が進行した。
自分達と違う文化習慣を持つ者達におののく中上流白人たちは、その違いに極めて敏感になりプロテスタント的倫理にそぐわない行いには不寛容となっていった。同じ白人とはいえ、カトリックコーザ・ノストラ系の24ファミリーは、1920〜30年代にそんな都市を根城としイタリア系移民中心に大きな勢力と専門的技術を獲得し、 1950年代には組織犯罪の支配者に君臨する。そのことが、社会世論をして犯罪取締強化・罰則強化に向かう。
第一次世界大戦後の混乱の中、1917年禁酒法はそうした大覚醒運動*1の許に施行された。また、その時と冷戦が表面化した1948〜50年代前半のマッカーシズムレッドパージ=反共保守の嵐は、米国社会不安の現れである。さまざまに国民の思想信条が糾弾されて公職追放になっていく中で、犯罪取締・罰則はいずれも脊髄反射的有効手段としてひたすら強化され、大衆自らが告発・糾弾行為に巻き込まれていった。大麻取締強化もその流れのひとつであり、「産業からの移転効果」なんぞではない。
1940年代の終わりから50年代にかけて、アメリカの薬物管理政策はかつてない厳罰政策を採っていく。連邦議会は1951年、薬物犯罪者に対する厳しい必要的最低量刑“mandatory minimum sentences”を定めたボッグス修正案“Boggs Amendment”を成立。56年未成年者への薬物販売に対して陪審員に死刑選択肢を与え、連邦麻薬捜査官に火器携帯を認める、麻薬取締法“Narcotics Drug Control Act”が成立したのであった。
日本の占領政策でも、対立の末に民主化改革に熱心なニューディール派(民政局ホイットニー)が後退し、後半は反共保守派(総司令部ウイロビー)が台頭し、初期の政策はおおきくブレた。

社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生み出すのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくして、むしろ他者によってこの規則と制裁とが『違反者』に適用された結果なのである。逸脱者とは首尾よくこのレッテルを貼られた人間のことであり、また逸脱行動とは人々によってこのレッテルを貼られた行動のことである。

ベッカー『アウトサイダーズ―ラベリング理論とはなにか

*1:現代の“Evangelicals”プロテスタント福音派と呼ばれる保守派のファンダメンタリストが、この大覚醒運動につながる立場の人々だ。

衛生と健康福祉

もうひとつ、見逃せない流れとして1950年代前後は「精神保険福祉」という思想が国際的潮流として台頭したことだ。
1948年にWHO発足、国際精神保健連盟WFMH結成した。そこで、国際疾病分類がなされ、「精神障害」が規定された。49年には国立精神衛生研究所NIMHが米国で設立された。1909年からあった全国精神衛生委員会は、“mental hygiene”→“mental health”とした全国精神保険協会として、精神障害の予防&治療だけではなく一般人の精神的健康の向上をめざす意図が盛り込まれた。また英では「治療共同体」ということで病院内の民主化が唱えられ始め、50年代に入ると診断主義と機能主義の長所を取り人れたパールマン「問題解決アプローチ」トマス「行動変容アプローチ」といった日常個人生活履歴に踏み込んだ積極的手法が盛んに試みられるようになる。上記に書いた社会不安とセットで、共同体を重視し個人介入していく風潮で、貧困・病気の連鎖を断ち切り生活改善という健康福祉の立場では、自己責任な薬物依存や怠惰な日常生活の改善に社会的関心が強まった。のちのマズローらの「自己実現理論欲求段階説)」などもそのひとつである。>個人主義vsコニュニティ
健康管理の波は現代では、「肥満」が自己管理の不徹底でありひいてはそれが仕事の管理能力を疑われる事態にもなっている。そういうエスタブリッシュの健康アッパー思考が、喫煙・飲酒といったダウナー的嗜好の規制へと向かう。大麻解禁の根拠として煙草より害がないということをあげているが、その煙草が欧米を中心として公共機関で次々と禁煙になっている。>http://www2u.biglobe.ne.jp/~MCFW-jm/tobaccocanadausa.htm 07年米国映画協会(Motion Picture Association of America、MPAA)は、映画の自主規制コード審査対象に、性描写、暴力描写、ひわいな言語使用に加え、喫煙シーンも含めると発表した。
視覚障害者や傷痍軍人保護以外は法的にはなにもなかった日本では、48年大麻取締法と共に医療法・医師法保健婦助産婦看護婦法・性病予防法・優生保護法が制定されヘレン・ケラー来日、49年には「更生」を打ち出した身体障害福祉法と日本精神病院協会が始動し、50年に精神衛生法毒物及び劇物取締法生活保護法が、社会保障制度としてあいついで成立。
60年代のサブカルチャーの台頭は、行き詰った欧米主導文化のカウンターから「第三国文化」への憧れという「オリエンタリズム発見」であった。しかしながら、LSDを始めとしたケミカルによって「感情開発」しようという発想は、結局は50年代の問題解決・行動変容アプローチの亜流変形版でしかなかった。ニューエイジ思想としてそれは自己啓発などのセミナーの流行をへて、トランスパーソナル心理学にひきつがれる。>id:hizzz:20040624#p3
そしてベトナム帰還兵という現実を突きつけられた80年代米社会の沈滞は、三度社会的不安・不寛容が高まり規制強化に社会が傾いた。そのパターンが、混迷するイラク戦争にある現在に引き継がれて、保守派の台頭という形で反映されているのではないだろうか。

サイケデリック思想は主義として社会の強制システムを拒絶した。そのため真の独創性と奇抜さ・狂気とに、あるいは通常要請される社会的適応力を超える能力があることとその要請に応える力がないことに体系的で明確な区別をつけられなかった。
ヒッピーは人の心をひきつけ散発的な独創性を発揮したが、しばしば甘やかされた子供のように振舞った。
集団でLSDでトリップするような心理的共同体は、日常生活に役立つ取り決めを何一つしなかったため、本物の共同体のモデルにはなり得なかった。

グリンスプーン&バカラー『サイケデリック・ドラッグ―向精神物質の科学と文化

大麻規制緩和派は、自分たちがクリーンであることを強調するあまりに、こうした過去の社会的事情を全てオミットしてポリティカル・コレクトを立てようとするから、米国三大財閥であるデュポンと結託した政府の恣意という、反資本エコファンタジーとしての理想的植物「麻」vs科学・資本の悪の権化支配というストーリィに捏造され、そんなものにはダマされないクリティカルで明晰なオレ達という相互承認の為に、伝搬されたのであろう。神聖イメージはこうしていとも簡単に育つ。>id:hizzz:20081102
国連薬物犯罪局UNODCでは、大麻が麻薬として国際的合意に達しておらず罰則がきわめてアンバランスな状態で施行されてることが国際的体制を侵食しており、単一条約の文面と精神の間のギャップを、大麻に関するマニュフェストとして埋めるか、条約加盟国において大麻の状態を再規定する討論を行う必要があると提言している。

国連薬物犯罪局『世界薬物報告書2008』
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2008.html