ロリコン

先月末のネタになるが、島田雅彦のちとビックリするようなカキコを読んでしまった。

中年になると、若い者を可愛がり、面倒を見たいという欲求が生まれ、自分が存在しない未来に向けて投資したり、いたいけなものに無償の愛情を注ぎたいと思うようになる。単に性欲や物欲を満たすだけでは物足りず、誰かのために、あるいは社会のために貢献しようと思わなければ、人生が空(むな)しくなってしまうものなのである。そうした足長おじさんになりたい欲望と少女の利害が一致すれば、幸福な感情教育も実現するのだが、現実には少女は肉欲の対象にされ、安易な金銭トレードばかりが横行する。エロ親父のニーズに少女も合わせている。地に落ちたロリコンの信用を回復し、絶滅が危惧(きぐ)される足長おじさんに徹すれば、娘を欲しがる彼をパパと呼ぶ若い女の子が現れるだろう。
どえらく回りくどくて勿体つけてんだけど、コレって、「女の子の前で紳士ぶりっこしてると彼女にホメてもらえるかも新米」とか言ってるダケっしょ?かなりベタってゆーか、キモいっ(寒)。いえね、大抵の文化ぶりっこインテリげんちゃんは、こーゆー妄想で、「こぉんなに色々知ってて高尚な修辞文をさらりとカキコ出来るヲレ様って、なんてス・テ・キ(ハァトマーク付)」てな自己愛にひた走ってるのはバレバレっすよ。自分の作品のドコカで告ったりするならともかく、そのロリコンが原因の幼児/未成年誘拐が多発し問題視してる新聞のエッセイ(になるのか?コレ)で、のうのうとカキコして、そしてそういう現実との接点ナキ「足長おじさんになりたい欲望と少女の利害が一致」っていう妄想にひた走るさまは、それがいかに対象とされた「女の子」を無視していることに気が付かない無神経。買春して売春婦に説教するのと売春婦を聖女にみたてるのと同等な愚鈍。いまは、売春して(社会=男の為に)身を落すってロマン、アダルト・チルドレンを最後に成立しなくなってきてる。
啓蒙を至上命題としヒギンズ教授並の全能感に欲情するのは個人の勝手だが、昨今は『グロテスク』のようにひたすら娼婦(=身を落す)になんかなりゃしない。金ダセ、金。その金の背後にくっついてくるウザッたい屁理屈で塗り固められた自己愛、それこそがアタシの敵。現実は、そんなコトぐつぐついってるオマエなんかイラナイと埼玉の16歳ヤク中娘がやったように、殺す。そこまでいかなくとも、ヴァッカぢゃないのぉ〜と貶められて、ヲヤヂ狩候補になるのが、関の山だけど。
ロリコンは地に堕ちて当たり前なのである。それでも、どーしてもその幻想にひたりたい向きは、「堕落のエロス」の自己愛にひたる「自虐」に篭るしかないだろう。なにをどう糊塗しようとも、関係落差ゆえに欲情してるのだから。