70年代 PARCO

「セゾン文化」という言い方で、今はゴッチャになっているんだけど、70〜80年代の西武百貨店とPARCOは、明らかに違った。アートとしての現代美術や西武劇場は西武百貨店本体事業であり、当時の評価の低い先端=サブカルを担ったのはPARCOというファッションビルだった。70年代の PARCOの広告はそのキアイの入れようは物凄い。
特に70年代半ばになってからドンドン過激になる。「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」「裸を見るな。裸になれ。」「Girls be ambitious!」「鶯は誰にも媚びすホーホケキョ」「あゝ原点。」「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」「西洋は東洋を着こなせるか」…もうなんだかガンガンに煽る煽る。
んー、、、まあそんくらいケシカけないと、70年代初期のどろぉ〜としたジーパン&長髪でOKな四畳半フォークの現実敗北逃避はフッとばなかったんだろうけど。ウーマンリブの影響はあるだろうな。そーいや山口百恵もツッパってたトコが受けて、単なる中3トリオ/三人娘のアイドルからスターになったんだよね。しっかしオトコだってシオシオの上の世代に対して「ツッパルことがオトコのたったひとつの人生」だったりした。
ともかく、確立された伝統がない故に、百貨店のメインフロアにもってこれない新興国内婦人服専門店=サブ・ブランド群という立位置を逆手にとりファッション思想化への船頭となった。80年代東コレデザイナー、後のDCブランドブ〜ムに繋がっていく。(輸出産業としての繊維不況に陥った70年代ファッション業界という背景は重要。)しかし、70年代のこのコンセプトを担ってた石岡瑛子は80年には渡米してしまうし、百恵は引退。