おいしい生活

今の印象としては「セゾン文化」=「おいしい生活」だろうが、これは PARCOの広告ではなく、西武百貨店のものである。裸の沢田研二がメインになろうとも、男性向けには「男のPARCO」と銘打たれたように、PARCOは「女」向けが基本。しかし「おいしい生活」はそういう区別を付けず、この広告ではっきりと70年代と質的転換が図られた。
ともかく分散して存在していたそれらを「おいしい生活」は融合させようとした。「西洋は東洋を着こなせるか」のアンサーか。それが床の間前にちんまりと座る和服のウッディ・アレンのヘタウマ「おいしい生活」。昔の四畳半フォークや伝統文化資本へのあこがれじゃない、なんてったって『ジャパン・アズ・ナンバー1』だしぃ。今やニューヨーク・ヤッピーがジャパニーズスタイルを取り入れる時代なのよ。ジョン・レノンも子育てだしー。。。
70年後期を張ってた「女」と「思想」は、そこで「ヘタウマ」と「生活」に入れ代わる。そうやって「伝統」と「過去」を切り捨てることにした。「伝統」と「過去」から切り離されたワケワカメでいい。それが「不思議大好き。」=スノッブ
ここで注意しなくてはならないのは、「ヘタウマ」はあくまで「巧い」が過去ベースにあった現在「ヘタ」なのである。そこいらのおっさんでなくて、そこいらのおっさん風情なウッディ・アレンだから、見れるのである。しかし「巧い」は見なかったコトに、なかったもののようにふるまう、「巧い」=「伝統」&「過去」をヘタ消費してみせる、そいつがなによりもオシャレでスノッブだったと。「感性」ったって、そういうモンの裏打ちが必要だったりした。いわば四畳半の床の間ってことかも。
んが、消費し尽くしたら後はどーしたってヘタヘタしかないってコトに。モノホンがあってのフェイクのオモシロなんだし。それがないならたんなるチープの山でしかない。見様見まねで自分でやったところで、所詮はヘタの上澄み。ヘタウマかと思った感性は気のせいだっと。だから『ビックリハウス』は80年代に入って盛り上がったとおもいきや急速に失速して80年半ばで終刊を迎える。
ツッパリだって、外へ向けてガンとばすんぢゃなくて、『ビーバップハイスクール』と学園内生活を謳歌するようになっちゃったしなー。そのアンチもファンシーに取込まれて「なめ猫」というカタチにされるし。
こうして西武/セゾングループ内部から発信するカタチのものは、80年代半ばには殆どパワーを失していたんだけど、からっぽの四畳半の床の間に飾るモノやコトをとっかえひっかえする為に、プラザ合意の進軍ラッパを受けて以降は輸入してきたスノップを消費する自転車操業文化で活力をつけ延命したにすぎない。
百恵に変わってアイドルの座についた松田聖子は、当初は「ぶりっ子」ってさんざん叩かれたんだけど、当の聖子自身が「ぶりっ子」を自らマネすることで総てを振り切って時代のスターとなってく。そんな彼女がいつも挫折しつつあきらめきれないのが再三再四の「米国への兆戦」つーのが、70年代をひきずったイタイとこかも。