反戦

「国家vsテロ」ちう「911」以降のお題についても、それは同じである。
国内で「戦争大好き」っていうのは、制度外の他者でいられる観念的ヲチャーか制度内の強者でいられるナルシズム的軍事マニア位なもので、ともかく「反戦!」が大多数を占めている。だから自衛隊官舎に反戦ビラをポスティングされる事ぐらいで、ピリピリする。当の自衛隊ですら「戦争対峙は出来るならば回避したい」ことであるからだ。「反戦!はみんなの願い」「ヤなこと=非戦」そーだから、逆に、今「反戦!」といくら言っても無意味になる。だって、「反戦!」って言ってしまった先は、ハナシがナイからだ。そして大抵「反戦!」って大声あげてる人たちの議論の帰結は「反戦!」で終了していて、以後の戦略が一向に出てこない。そこにある議論は、もっぱら、いかに戦争がよくないものか&ブッシュはバカかというハナシばかりである。で、ブッシュの戦争とやらに反対する明日の日本国家観が反ナショナリズムには描けないから、相変わらず具体的なモンは「米国追随型の戦略」っきゃ「国家vsテロ」論の壇上にはない。あとは「国連主導で…」と…の具体的中身のない「願望」ばかり。それでいいのいけないのいってても、それは、やっぱり観念論=イリュージョンでしかない。「反戦!」っきゃ根拠がないから、いや戦争するんぢゃない「平和維持」「復興支援」と看板変えられたらもうそれで終らざるをえない。「No!という日本」といって、その後がナイのはどっちもどっち。ネタないんだったら「滅ぶにまかせとけ」とモンロー主義を見習ってキッパリひきこもりすりゃーいーのに、それもしない。ただ、わあわあいってるダケ(それはこんなのカキコしてるワタクシもそう)…さあ、そろそろ各方面から石が飛んでくるかな。
大体「911」以降のアフガニスタンイラクに対する米国を中心とした軍事侵攻、ビンラディンフセイン&テロ組織を目の敵に決めた軍隊を使った強制根絶撲滅取締殺戮行動は、「戦争」と呼ぶべきものなのか?という根本的な疑問があるんだけど、どうも昨今世間ではソレを「戦争」ということにしたらしい。第一/二次世界大戦時では、国家間同志の軍事衝突を日清/日露/太平洋「戦争」と呼んでて、植民地等での軍事侵略を満州/上海/支那「事変」としていたけど。
どー考えても「軍隊を使った強制根絶撲滅取締殺戮行動」をもってして「戦争」としたい理由は世界の警察国家たりたい米国政府にある。だからソレを反対するのに「反戦!」って言葉を使ってしまったら、米国意図と同じ土俵に上がっていることになるんだよな。今ここで邦人誘拐犯の「自衛隊撤退要求」に乗じるのも、「テロ」論理に賛同することになるから、ハナシはいっそうややこしい。大体、昨今のサドル師周辺の武装蜂起vs米軍鎮圧作戦で「深刻度」を深めたイラク状況は、どーにも「国家vsテロ」でないしー。皆してなんか好き勝手にズレてんぢゃないの?したから、イラクは一向に平穏にはならない。