弘法筆を選ばず

「弘法筆を選ばず」ということわざがあるけど、それは半ばウソなんだなぁ。なんか表現しよと思って、まず表現方法を決める。次は書く手段をどうするか決める。筆/紙/絵の具(墨)と3つの道具のうち、一番重要なのは、どれか?なんてったって筆、なんだなあ。書でも絵でも技巧中心に考えると、紙とか絵の具なんかナンでもいーけど、もう圧倒的に、筆ダケは細心の神経を使って選ぶ必要がある。おもいっきり間違えて、まず、紙漉きにいっちゃったり、絵の具の色数とかそろえて悦にいってるひとも、多々いるけど…それはそれで雰囲気出て楽しいコトではあるけど、書くプライオリティからしたら低いことであろう。
弘法はなにをどーするのか明解だから「選ばず」なんで、そゆことになるのは、意図どうりの表現に合致した方法を選ぶ能力と、瞬時に道具を把握する技量の両方がそなわってのことであろう。どっちかってっと「迷わず」って感じなんだろうな。そゆことを体得してるからこそ、筆(=条件)を選ばなくても目標を達成できる、オールラウンドプレイヤーなんである。だから、なおさら間違えてはいけない。大多数の凡人は、そういうビビビとくる直感は実技を通してしか身につかないから、そして使わないとサビて鈍るから、実務をおろそかにできないんだよなぁ。