合議の知

id:o-tsuka:20040512#p2経由、ライン人材とスタッフ人材の見極め方で、意思決定に関する性格づけとして4つのタイプに分類されていた。そして続く記事の中で、日米管理職の比較をしてて、米国には[思考-判断]型=論理的で決断力ある管理者が突出してるが、日本はバラエティに飛んでいるという特徴がでた。これは、〈個〉が強い権限と責任を持つトップダウン式の米国に比べて、権限の曖昧な集団合議制(コンセンサス社会)の日本という、会社の意思決定スタイルに影響するところ大なんで。まあしかし、記事にある通り「価値の多元性」は確かにいいことなんだけど、これが不測の事態となったとき、実は集団の意志決定のほうが危険性が高い。たしかに「誰も反対しない」というカタチでのコンセンサスは問題が多い。
『無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略』では、バケツでウランなJOC臨界事故を検証しつつ、集団討議は、少数にしか理解できない複雑で高度な情報処理が過小評価されるのと、個人の意思決定よりも相対的に冒険的な選択肢に傾く可能性が高いという2点を上げている。「集団討議は個人の意思決定よりも相対的に冒険的な選択肢に傾く」というのは、3人拠れば文殊の知恵(←この為にあったことわざか!トホホ)という常識に反するようなハナシだが、古くは山本七平『「空気」の研究』でも、ふれられてることである。認知科学では、人々の間に存在する相互依存関係から、論理的に矛盾のない社会的な決定を常に生みだすことができるのは独裁制だけ(アロウの定理)としている。う、う〜ん。「合議」というプロセスに余計なロマンを求めてもアレなんだよな。シゴト遂行の為の「合議」と、すると、確かに産業心理学でいう常識の[思考-判断]型主導になる。