ちびくろサンボ

事象に対して自分が無力なのは、もう殆ど、そゆ自分が弱くてバカである結果なんだけど、んなことは、経験的に日常ヤというほどに体得する機会にみちみちてるんだけど、困ったことに、あんまり弱くてヘタレだと、そゆ自己了解すらはねのけてしまう。
「邪悪な外部が無垢なアタシを攻撃する」ってー奴。
精神分析とかで出てくる「父」、イデオロギー的な「父権」ってのかな?その手の話法が昨今ではおおはやりで、 AC&ヒッキーからフェミニズムから自由主義史観からオウムからワイドショーから市民運動からネット厨房からアメリカから北朝鮮から.... ああもう、ドコ見渡してもおんなじだなぁ。その共同体が一致団結して「我々こそ最大にして最初の被害者であ〜る!」と頑強に思い込めばこむ程に、その妄想自体1ミリの邪悪のない善意であからこそ、それを獲得出来る強者こそ不毛で残酷な暴力が最大級のパワーを得る。だから、全ての事象の被害者(もしくは賛同者)はいつも一点の曇りのナイ被害者でなけりゃなんないし、いい人であれなばならぬとばかり過去現在未来をムリヤリ漂白される。それって、どーーーーーーーー考えても、ちびくろサンボのバター、父権の再生産プロセスから一歩たりともハミだせない状態なんでないかなぁ?
自分(達)ダケが知りうる内向きの暗号内容へと収斂結晶させてヨシとする啓蒙ループから抜け出せないのは、成長や可変という可能性を持ちえないからこそそこに他者を社会を想定する余地ナシなんで、そゆ島宇宙でガッチリ防御しその外部は問答無用な衝突激増つーの、はたしてそれはマトモな叡知なのかな?コミュニケーションリテラシーが単相すぎる閉塞なんだけど。いきぐるしーぞー。
知恵つーのはさ、情報や知識や経験や真剣さ真面目さの量や質なんかぢゃなくって、なによりも、無知/偏見/習慣といった自分の欠落と汎用性を正確に自己判断することで、とどのつまり、それが「知性」てぇモンぢゃないのかいなぁ。
そー書くと、「自己判断出来ない人が…」と、くるんだな。
ほーれ、「自己判断出来ない」と他者代替判断して父権発動させたのは、だぁれ?んで、得てして、もっともタチ悪いのは、「判断出来ない固有名詞」そのものには決して関心がなく、それをどう消費しようかというスタンス表出に熱中し、そうすることで特定共同体の中でのヒエラルキーのポジション取りこそが目的であるのに、何故か御当人はそういったコトを御都合よく忘れる能力にみちみちており、その忘れた部分をあらゆるトコから搾取した「正義」と「善意」で埋めまくる手合だったり、ね。
…てな具合にさ、無垢だの無辜だのと、ひとはどんなに嘘つきで、「そんなアタシがイヤ」などと自虐芸をつかってでも自分自身を最も巧妙に騙して、あくなき欲望を正義や善意に換えてく動物なんだよな。