ロマン

戦時中とある米軍捕虜収容所にて、英語が理解できる日本軍捕虜とみるや否や「進化論」を説く米軍将校がおり、捕虜達の間で不思議がられてたそうな。ある時、弁の立つ英語の達者な捕虜がその将校よりも詳しく進化論概要を述べ「このようなことは日本人なら中学校レベルの知識だ」と言い放ったところ、くだんの将校「それなら何故、人間である天皇が神であると信じるのか!」と、オー・マイ・ゴット状態だったそーな。。。(日本昔話調)
id:hizzz:20040428#p3でカキコした通り、戦後の日本人は「二度と飢えない」を悲願として生き方を模索していった。そしてその具体的な方法論として、戦後天皇人間宣言をした後、生物学者として「学者天皇」を標榜したように、「科学」的普遍というのが、思想的にも産学的にも一致して追求された。
教育勅語」や「軍人勅諭」といった戦前の「文化」思考のマクラをとっかえて、降りる系譜で自虐ロマンしてる高等遊民な人文者達id:hizzz:20040324#p2をしり目に、シモジモの食いブチとしてこれからは「科学!」それこそが、本当のモダンだ正しさだってみんなして復興ロマンという活きる目標を共有したんだよなぁ。
戦前西欧をマネてアジアを植民地化すれども、結局日本はその植民地に供給出来うる余剰資源/生産力が無かったのである。なのに西欧に追い付け追い越せと思想ロマンばかり先走り内実ナイそのままを他者の土地でくりひろげるそのさまは、その意味でも戦前日本の植民地政策は破綻してた。その反省もあった?のか、資源の乏しい日本にとっては、製造業は不可欠の存在として「工学部」といったカタチの産学共同を取り産業振興の根幹として据えられる。
ま、「科学」風潮すりゃあ、思考が科学になれる訳でもないのは、「科学的論理思考」を標榜した進歩主義思想が、気が付けば「科学的ロンリー思考」に過ぎなかったという韜晦/苦汁は、思想的には68年以降の学生運動の敗北であきらかとなり、以降「ラブ&ピース」というカタチに思想が後退していく中、手段としての「科学」は発展を遂げ、80年代にジャパン・アズ・ナンバーワンとなる。明治100年の体系がそんなカタチで実現された?ってことなのかな。しかしそうなってみると、これまでその「科学」的普遍を激烈推奨してたハズの米国が、黙っちゃいなかった。なによりも米国自身が「普遍」のセイで国内産業空洞化をまねいたという母屋を貸してひさしを取られた状態だったからだ。