コントロール願望

バブル以降は「差異を作り出しそれを埋める運動に窮々とする」戦略に「科学」もはまっていったとする池田清彦は言う。

大衆民主主義と資本主義を支えている科学技術の価値基準は、再現可能性と客観性にある
…科学技術に基づく、様々な社会制度や装置は個々人の種々雑多な特殊性にすべて対応できるようにはなっていない。物質的欲望を一応充足した人々が、生きがいを求めて「かけがえのない私」探しをはじめた時、これらの中の少なからぬ人々が、精神主義的なカルトに己の夢を託したとしても不思議ではない。

池田清彦『科学とオカルト―際限なき「コントロール願望」のゆくえ』

「かけがえのない私」探しは、「止まらない人工心臓」といった技術革新にその出口を求めてやまない。PC(民生汎用機)の発達&普及により科学技術の作り出した「ヴァーチャル・リアリティ」という新しい普遍シュミレーションが個人でも簡単にトライできうるようになると、世の中の産業の(他者の)動きはどうであれ、「かけがえのない私」という夢を見続けることが可能になる。…そしてオカルトと科学は合体する。
疑似科学思想の夢は「反科学でもオカルトでもない自分達こそ、真理探求者」とする「ラブ&ピース」運動に疲れた各々ニューエイジ系神秘思想の真理追究としてわきあがる。第三世代の心理学マズローの5段階の自己実現欲求説、(1.生理的欲求 2.安全 3.所属と愛 4.承認 5.自己実現)「人がなろうとするものに益々なろうとする願望、人がなることのできるものならば何にでもなろうとする願望」が、ベトナム戦争後のヒューマンポテンシャルムーブメントで、どんどん拡大解釈されマニュアル化し集団施行して儲けようという「自己実現」を売り物にする交流分析ゲシュタルト療法が現れ、自己実現セミナーへと伝搬しマルチ商法と結びつき、そしてさらには、知の欺瞞的に取り入れられた「科学」と結びついて、「止まらない人工心臓」といった「永久運動」をふりまく。そのひとつは、オウム真理教というカタチでかくも無残に我々の前に体現した。