〈少年〉

近代日本文学における〈少年〉的自己愛の表出は、自己の客体性の自覚からはじまった。「憧憬の文学」は、後には他者欲望の体系として語られ続けてきた性愛を、自己憧憬の体系として編成し直し客体性を魅惑的要因=自己愛として提示する。客体性自己愛とは、他者との関係において主体たりえない客体者が他者に対する「権力の獲得」という方法をとらずに、自己価値を見いだそうとした結果発生したものである。無垢が欲望主体を生成し、それを浄化し肯定する。欲望の主体となることは醜い。自己の欲望をあらわにする「主体」は忌避されるべきもの。理想的客体にとって自我は汚れでしかない。このような「客体的自己愛」は折口信夫によって文学的に発見されたとみる著者は、そうした「主体/客体」自己の在り方の変遷を近代文学テキストをひきながら解明していく。