自分セカイの中心で愛を叫ぶ

女性は〈少女〉理念を様々なケースで吟味することで欲望とその形態は多層多重化して拡散した主体=自由を手にいれる。一方男性は〈少年〉理念を喪失することによって客体化し自由を手にいれ、「欲望とその形態」ソレは〈少女〉なるものとして単一化することで主体を持ち、幻想の単一〈少女〉を自己理念として他者異性を追い求めるが故に、現実の女性(&自己実在)から離れていく…ということっすかね。
また拡散しすぎた〈少女〉理念を抱えた女性は、現実の男性には届かずカミ合わない、と。両者が同等レベルで主体を持ち対峙する状態は、まだ先なのでしょーかねぇ。。。