人権

多くのひとが、実存絶対基準として人権をあげる。確かに、まず自己実存が担保されなければナニも世界は始まらない。まえに「何故ひとを殺してはいけないのか?」という命題が問題となったことがあったが、そゆ命題すら成立たない弱肉強食の世界は、弱者は単に殺されるか搾取されて生きるかだけしかない。したから多数の弱者は徒党を組みそれを拡大することで自己を守る。
そゆ権力がないと人権も成立たないということになる。個対個は容易に立場がひっくりかえる。自分で自分を守るしかない。実は人権というのはそゆしんどいモンでもあるんだけど、そゆ〈個〉を立脚しつづけるしんどさを大抵、感覚でわかってるひとが多いから、つるむ。
さて、そのつるみの最大規模は国家であり、デモクラシーはそこで始めて国民の人権保障が国家義務として明示される。大抵の人権思想は国家権力のバックがあって始めて成立つ。国家が安定すると人権に目くばりがとどくという流れは、国家イデオロギーを問わずわりと共通したカタチではないだろうか。人権思想は、国家権力の肥大を諌めることはあっても、基本的には安定したベースを要求し、国家そのものを否定するものではないものなんだろう。それらに無自覚に「人権」をふりかざすと、人権思想はいとも簡単に権力思想となる。なぜなら、人権そのものは国家にとっても個人にとっても道具であり、最終目的とならないからだ。