科学的母性

いやはやすんごい言葉。今この言葉を出すとゴカイされまくりだろうが、なにもべつにココでワタクシ、反ジェンフリをぶちかましたい訳ではありませぬ。
19世紀は科学が特権をもった時代であり、市民の近代的自我の発見の時代でもあった。そこから「女性みずからの近代的な責任を分析するおりには、「科学的母性」「科学的慈善活動」「科学的料理」なる言葉が連発された」とシャピロ『家政学の間違い』は述べている。
19世紀の消費の科学とは、こうして誕生した家事の化学=「家政学」にほかならない。
MIT(マサチューセッツ工科大)を卒業したエレン・スワロウ・リチャーズは、都市の貧困問題に着目し、MITの中に「女性の実験室」をつくり、家事を応用化学として女性に学ばせた。そして、1893年シカゴ万国博覧会で、貧困都市生活者に衛生的な食事を供給すべく「ランフォード・キッチン」という公共キッチンを展示した。シカゴ万博ではもうひとつ、メルシナ・フェイ・パースが、有産階級のアパートメントに数世帯の貧困家族が利用する劣悪な環境を改善すべく、共同で料理や洗濯をする「共同キッチン」というアイデアを発表している。
食品成文の表示、カロリー単位の表示、計量カップの使用など、料理に関して経済的・衛生的・栄養豊富でかつ、常に同じ状態・風味を保つ均一化を最重要視した。まさに、化学・工業製品が均質化というユートピアを全速力で目指したように。均一化=客観性の根拠として科学を、そしてそれ(均一=貧富差なし)こそが価値=善に。こうした19世紀アメリカの家政学は、新しい思想を受けて新しい女性の生き方に基づいて発展した。
平等・均一が貧困救済につながるという観念から導きだされたそれは、もうひとつ重要な観念を生みだす。最も高潔な判断力にもとづく良きハウスキーピングは環境の科学の実践-それは「オエコロジー」のちの「エコロジー」である。
近代の機械的合理主義に基づいた「ランフォード・キッチン」にせよ「共同キッチン」にせよ、軍隊や病院や学校や収容所といった施設「管理」で最も必要とされた。
フレデリックテーラーの管理法やフォードシステムという効率産業方法と結びついたそれらは、バラバラの個人を結び付け最も効率性の良い集団に手っ取り早く慣らす「標準化」という作業に最も貢献した。現在では大量生産のファーストフード業界に回収されて、集団の論理に生かされてはいる。いいかえれば、一切の行為を資本化する運動の家事の発見=商品化でもあった。もちろん、リチャーズやパースがそうした「発展」を望んでいたかどーかにはかかわらず。
こーしてアバウトに見てみると第二次大戦以降わかれた管理的社会科学主義システムとアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは、ひょっとしたら「標準化」という観念の表と裏でしかないのではないかな。
いやしかし、そんなののベースに使われまくった「母性」って、い、一体(滝汗)。。。
母性と育児神話
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