火の始末

未開地に放り込まれて生存競争をするTV番組サバイバーでは、ライフラインの確保として重要な仕事に、水の確保と火おこしがある。災害によっても水とエネルギーの供給が切断されると、たちまち生活は立ち行かなくなる。キッチンの意味とは何かと考えれば、この水と火の管理につきるのではないだろうか。水は水道によって、エネルギーはガス&電気によって整備される。
家庭の効率化は、特にエネルギー供給方法の変化によって進められてきた。生火の制御からそれは始まる。炊飯がガスから電気釜に移行してったように、暖を取るための装置も、生火を燃やすことからファンヒーターへと変化する。湯を湧かすことだって、給湯設備か電子ポットにおまかせである。コップにお茶っ葉と水いれて、電子レンジでチンしてる人もいる(曰く、香りが保てていーそーな)。勿論、ペットボトルを購入して飲料水すべて賄う人は多い。こうして、火を扱う智恵はスイッチひとつにおまかせになる。食事も生活エネルギー供給のひとつと考えれば、スーパー&コンビニ&100円ショップの立地条件はライフラインとして重要になる。
身もフタもない言い方をすれば、慈善と平等と自我意欲に燃えた家政学は、家事合理化のハテの家事労働の消滅=TVディナー&個食に結実する。家庭から「労働」を追放して、さてナニがのこったのだろうか。労働を商品として消費するユートピア、答えは「余暇」である。
でー「余暇」。それでナニしてんだか、考えるのがおそろしー、ううう。。。