思考のやり方

しかしこれは発想と思考は別だというハナシになるのかもしれない。発想から思考というプロセスをとおして言語なりなんなり表現の具現化を行う=方法論としての思考という捉え方をすれば、思考のカタチそれ自体も自由にデザインされてしかるべきものなんじゃないかな。したから「正しい論理=思考過程」を模索する論理学という学問の在り方は理解できはするんだけど、それを唱える方々とワタクシとはちょー相性?悪いな〜っと。正しい論理は唯一の正しい著述でなけれはならない=唯一解答が自明的カキコ見ると、そおかぁ〜?っていつもハゲシク腑に落ちない。
正しいひとつなトコに複数解を見いだすことに思考の面白さを感じてるワタクシは、普通の本を読んでも哲学とか論理とか科学とか厳格言語なものでも、このようにネットに書くとか喋ったりしない限り言語は使わない。特に門外漢な分野の時(ってほとんどがそうなんだけど)は個々の語彙を拾って繋げるよりも、ばっと全体絵を見ようとするかな?ジャングルといわれれば他者にとってはこの上もなくジャングルだろーなぁ。まー、したから、普遍性ないドアホウな認知理解の仕方/記述をしてるということは往々にある。<自己弁護(^^;;;
え?そんなデタラメは「(正しい)思考」とはいわない?ハイハイハイ解釈の自由、見解の相違ざんす。
それでアタクシは既存認知の追随を目的とするんぢゃあなくって、自己アイデンティティの他者承認を求めるってことでもなくって、そゆ言葉にならないでぐ〜るぐるしてるイメジを言語化方法でもってこうして表に出してみて、どうワタクシの発想や思考が変わっていくか変わらない部分と共にヲチャしてみる、とゆーのがカキコしてる動機になるかな。