ゲノム敗北

ヒトゲノムプロジェクト解読完了宣言のニュースは去年大々的に流され、そゆデカくてハデなことの大好きな小泉首相がなにやらパフォーマンス(世界6カ国の首相による共同声明として発表)してたのは、記憶に新しい。ゲノム解読は1991年に国際間プロジェクトとして発足した。そして終了してみると、日本はプロジェクト全体の6%の貢献に終わった。これを評して「敗北」とする向きがある。
岸 宣仁『ゲノム敗北―知財立国日本が危ない!』はこの事実を中心に、複雑なテクニックを要するゲノム読み取りを自動化する装置(シーケンサー)を発案し、日本はおろか世界のゲノム解読の先端を走っていつつも失速せざるを得なかった研究者、和田昭允の苦闘を追う。どんなに先見性を持って独創性を個人が発揮しようとも、それを集団として育て成果を出せない要因、「内に組織の縦割り、外に日米貿易摩擦、根底に知財戦略の欠如」といった負けるべくして負けた負の構造を、ひとつひとつ切り裂いていく。
今年5月文部科学委員会の席上、加藤紘一の質問を受けて、参考人として和田自らが、同様に出席したニュートリノ発見のノーベル賞小柴昌俊のプロジェクトとの比較をしている。

1. 小柴プロジェクトは文部省予算に限られていた為、東大、浜松ホトニクス、文部省の三者の枠内で、小柴の主導でプロジェクトを進めることができた。これに対し、和田プロジェクトは、科学技術庁予算だったので文部省管轄の大学にはじかにおカネを落とすことができず、予算が回り道して和田主導のプロジェクトとして進めることができなかった。
2. 和田プロジェクトは、生物科学社会では突出したプロジェクトだったために強い抵抗があった。日本の研究者社会、特に物理研究者と生物研究者の間には発想に大きな違いがある。
3. 小柴プロジェクトは、浜松ホトニクスのワンマン社長の判断で協力が得られた。一方、和田プロジェクトは多くの企業が参加し若い研究者は意欲に燃えて強力してくれたが、彼等が会社に帰ると、上司から「何で儲からないことをやっているんた」と文句をいわれた。
4. 小柴プロジェクトは産業とはまったく関係なく、物理学の大きな課題への挑戦という受け止め方をされたが、和田プロジェクトは産業機器として発展する可能性があったため、大学による産業への奉仕が歓迎されなかった当時は、非常な逆風が吹いた。
5. ゲノム解読という生命科学の重要な課題に対する認識が、当時のわが国ではまったく欠如していた。小柴プロジェクトは有名企業が多く参加していたこともあり、生命科学産業でアメリカをあまり刺激すべきではないと、むしろ押さえ込みにかかったのが実態だった。

学問内に限っても、突出への反感、技術(実務)に対する軽視*1、講座制の壁、産学協同に対する無理解、、、
あまりにも近視眼的な観念支配、ことなかれ主義、あまりにも彼方此方でありがちなトホホ(涙、涙)。アマゾンのカスタマーレビューでは「まあ運が悪かったと言えなくもない」と書かれてるが、そ、そうかぁ〜?

*1:修士も博士も持っていなかった民間平リーマン田中耕一のタンパク質の解析技術へのノーベル賞授与は、そういう意味においても重要かも