DNA還元主義

先週報道された、警視庁が犯罪者DNAデータベースこさえるニュースを聞くと、シロウト目には、竹内なんとかあたりが喜びいさんで書き飛ばしそうな何でもDNA、還元主義強まるか〜と、ウンザリ。んが、ゲノム学自体は、むしろ逆。ワトソンの唱えたDNAが生命の根幹という「セントラル・ドグマ」が、どーも、そんな単純なモンではないらしーことが、遺伝子解読作業が進むにつれて分かってきた。今までジャンク扱いしていた転写されない不要なDNA片やRNAが遺伝子ON/OFF調節で重要な働きをしていて、実はDNAよりもRNAこそ基ではないかと「RNAワールド」とさえいう。
しかし、んなこたぁパンピーには伝わらん。他世界への広報自体、学問系統セクト内で重要視されてないからである。かってC.P.スノーは「二つの文化」といったけど、以前カキコしたように概念構築分野である哲学(人文科学)と分子生物学(自然科学)の間で共有する言葉なく、現在はスノーの時代よりも分裂しまくっているのでは。そんな状態でパンピーにナニが伝わるかといえば、「嗅覚の遺伝子発見」「精神疾患に関連する遺伝子発見」な部分的トピックだけ。それを繋ぐ概念的なことといったら、竹内の遺伝ヨタ優生学や男女脳とかゲーム脳とかメール脳といった煽りエセ科学論ばかり。こんなことばっかりではパンピーは増々、遺伝子決定論=還元主義→オカルトになっていくのは当然。
実際は、病気を引き起こす遺伝子を持ってたとて、それはせいぜい芝居の脚本のト書きにすぎず、ト書きが芝居の全てを決定づけるものでないのと同様、ひとつの遺伝子のもつ情報が人生の全てを決定づける訳ではない。が、世間が大好きな「資質を問う」と「自己責任回避」志向に、DNA還元論は「科学的実証」として根拠づけ利用され優生学的トンデモ解釈され、自己差別序列化の為にセンセーショナルに流布され続ける。丁度、ABO式血液型性格判断が根強く今もはびこってるのと同じ。いっくらゲノム解析されよーとも、ホント、ひとってのは、見たいものしか見ないわ、信じたいものっきゃ信じない、恣意的ご都合主義者なんである。