閉じたロジック
そもそも日本では「科学的論理思考」はイデオロギーとして流行れども「科学哲学」はマイナー。自然科学では、生命倫理学は出来立てで、まだまだらしい。人文科学が文化/伝統重視で後ろ向きの文献頼りな従来的価値観にひきづられて対応できないのなら、んぢゃあ間をとって?社会科学って、どーよ。
脳死でもりあがった自己決定権を巡る社会学(倫理学)はよく目につくが、旧来価値観に新事象をどうハメこむかばかり関心があるようで、ハメこめないものは排除するという理論のように見える。倫理が大切という割に、何でその倫理というツールを使って新しい概念を理論化することをせずに、過去の亡霊を引っ張り出してウヨサヨ論争にあけくれて内向化してるんだ?とかは激しく思うんだけどな〜*1。この分野もやっぱり、概念=言葉創出がどうもいまいち。なのに、人文寄り社会学究者のマーケティング/商業/金融に対する優越感を持った差別的偏見は、それはそのまま技術=実証学問や現在の生物化学/脳科学などのDada-Driven Scienceに対する態度と妙に重なる*2。卓上での自己創出がままならないなら、データ(ネタ)とりにいってそこからいくらでもボトムアップすりゃあいーぢゃんと思うんだけど、それは学問系統によって方法論的にダメらしー。はー、不自由だこと。
そして、事なかれ主義で人文&社会科学権威に追随共存しているだけのジャーナリズムもそれは同様だ。こゆ人々が大好きなのがバーチャルシュミレーション。恣意的にチョイスしたファクターを持ってして、パラメーターをちくっといぢくれば、いっくらでも最初に想定した結果を出せるからねぇ。それをもってして「統計的」論理根拠とする独り完結ロジック「自作自演」。なんだかなぁ。。。