善意の自己完結

バーチャルシュミレーションを手に、現在社会科学と自然科学を統合する唯一?のイデオロギーエコロジー環境保護という視点から、ゲノムプロジェクトにも物言いがつけられる。しかしその根幹は生命の根幹(自然=神の領域)に手をつけ改変するということに対する(習慣)生理的な拒絶といったところか *1。クローン羊ドリーの誕生さわぎや「試験管ベビー」と差別的にいわれた体外受精も、今やそのこと自体がニュースになることはない。前は全面的に禁止されていた遺伝子組み替え実験も多少その規制は緩められた模様。
ワタクシとしては、臓器移植や延命措置は中絶も含めて、他者の恣意能動行為を認めるってことが、〈個〉の相違を思考(アイデア)を認めるってことになり、しいては自他存在の確認になるぢゃんって思うのだけど。無論、お上(政府/権威機関)や世間からの暗黙の上意下達ではなく、それを選択するしないの自由を個人に担保するシステムの上に初めてそれは成立する。しかしそれは「個人選択の自由なんかありえない」つーその一点で、その先の全てが否定されるんだよね。こゆループ論法は、結局「なにもしない」という結論が先にある。結果、良くて現状維持、大抵ヒートデス。…だったら「ありえない現状」をなんとかすることに知恵をしぼれよ、と小一時間*2。。。

*1:臓器移植に端を発する自己決定権論争も、結局その反対論者の根幹は、人間の尊厳=人智未踏の聖地=自然崇拝といった「慣習的規範」の倫理絶対化が至る所で透けて見える。

*2:とカキコすると、リベラル自認の皆様方は「ネオリベ!」ってラベリングして終了なんだよな