なしくずし現状維持

例えば、倫理エコ派(原理還元主義者)の反発は、ゲノム学ではそれは稲穂の国の象徴・イネに集中する。遺伝子組み替え作物に対する根本的疑念。農薬商売転じてゲノムでパテント商売替えした化学メーカー独占商法への反発。日本の根幹食料=イネの商品化政策への批判。安価な安全生産が疎んじられて政策補助金づけで単価高の作物を強いられる生産・消費者。など。
これに対しては、現在得られてる品種改良&農薬づけ米と遺伝子組み替えと、その安全性にどんな違いがあるのか。遺伝子組み替え食品だけ騒いで、その他の現在流通しまくってる農協主導の農薬づけ作物にノータッチ(無農薬/有機栽培作物を買えということか)というのもおかしな話だ。農家が自家消費分作付けには農薬使わないってのはよく聞くハナシだし。トウモロコシなどとは違ってイネは出来た稲穂を種として翌年作付け可能だから、種商売にはならない。農業保護政策で割高な米を買わざるを得ない、無農薬/有機栽培なんかより高くて買えないビンボー消費者として、発展途上で開発研究中故に割高を強調されてもなぁ。商品化されることによって安価になるぢゃん。という感想を持つ。
エコ派&リベラルの多くは開発/研究者と違って、逆に言葉とパワー(=感傷)しかない。警鐘を世間に与えるのは良いことではあるが、それでは実際にそれをどう社会にオーサライズしていくのかという実務戦略を組み立てるよりも、既成概念と結びついた共感共同体づくりばかり先行し、そこで小さく自足している *1。だから、パンピーに伝わるのは、「こわい」「危険」といった感情的不安だけだ。そうでなけれは、やみくもな古紙回収*2だの割り箸追放運動だの煽動的なことばかり。で、その「不安流行」は言葉だけしかないから持続せず、「まだそんなこといってんの?もうあきた」とばかりに次々新しいものにうつる。しかし問題そのものにはなんの手もつけられず、放置プレイ。それって結果は現状維持な保守ぢゃん。全然リベラルでない。官僚と一緒。いーのかそれで?

*1:社会啓蒙思想家達が最後にはパンピー排除した特権的エコ共同体で縮小消滅するというパターンは、古くは新しき村、最近ではNAM。どーして同じ失敗をコリずに何度も繰り返すのか、それがちょ〜不思議。

*2:従来の古紙回収システムをブチこわした結果、出口なくリサイクルにならない