トレンドに振り回されるPC

元々、帝国主義に抵抗する主体=反動として登場した「社会思想」と、それを打破すべく建設された社会主義国つーのの末路がどれもロクなもんぢゃあない、他国でなく自分たちの左翼(学生)運動のボロ(連合赤軍事件等)が次々明らかになっちゃったのが70年代。左派総くずれの中、リブは男性vs女性という図式を借りて、左翼マチズモは帝国主義的マチズモと実は同じ構造であるという告発をおこなった。そしてそれは意義があった。
そこで社会思想シンパは「ポストモダン」で、もはやそうした主体(=含マチズモ)ナイってムリムリ表面的に装ってはみたが、どっこいそうは内面の問屋がおろさない。現在のギョーカイ・トレンドらしい「ポストフォーディズム的労働批判」なんてのも、その方法論を1ミリも逸脱していない。
栗原さんトコにカキコした通り、社会思想系以外の人々は、抵抗する為に働いてる訳ぢゃあない。抵抗したい為(=主義という趣味)に働ける方々は、食べる為に働いてる方々の余剰産物の上に成立してるんぢゃあないんですかね。したから、ドコが高度情報化社会に抵抗する主体やねん?「社会」とか「現代思想」とか「運動」とかアタマにくっつけたって、決してその活動の成果を検証することはなくってすべて「古い」とか「終わった」として一過性で通り過ぎる「いいっぱなし状態」。それ単なる特定思想ギョーカイに於けるトレンド消費行動、批判するポストフォーディズム的労働産物のトレンド消費行動で回っている資本主義=趣味な生活*1と、ドコがどーちあうねん?って、お聴きしたいのですが。応える責任はナイですか、そうでつか。>該当方面のエライひと

*1:「資本主義社会」の最上層で最新余剰を享受しまくる生活