反資本主義運動の自己矛盾

商品サイクル/会社の寿命というのは確実にあり、一時期いくら権力化したとて、一定量を越えて飽和状態を迎えたら、衰退に向かう。マクドナルドが価格ガリバーでありえたのも数年でしかない。そして全ての価格は市場価値によって再編成される。そうした上に、アウトレット/ディスカウントショップが、そして100円ショップという市場末期商品群による均一価格という共産生活?なんてのが、革命なしに静々と浸透する日本(笑)。
こむずかしーハナシを振り回す反動運動な方々を含めて、そんな「ポストフォーディズム」的商品群で日常を賄い、サブカル始めとして「ポストフォーディズム」的思想趣味生活を回してるというのが、リッチもプアーも含めた多くの者の生活実態ではなかろうか。
フリーター&プーなちまたのヤンキーのモノグラム*1所有率はかなりのものだし、たとえ住所不定でもケータイ持ってナイほうが今や珍しいほど。19世紀的ブルジョワ階級だけに許された、飢える心配のないスノッブな趣味生活つーのは、中産階級はフツー、下層階級だってやろうと思えば、(その期間はともかく)できちゃうのだ。親のためこんだ資産や年金、はたまた社会福祉金をGetできさえすれば、わざわざ「賃労働」をしなくても、その資金が続くかぎりスノッブを決め込んでいられる。いわば、総プチ資本家状態。
さて、そうすると、問題はそういう親等の周囲のインフラを持たない故に、学歴(=文化資本)もなく、社会福祉制度基準にもひっかかることもなく、長時間の単純賃労働につくしか食べていく手立てがナイ者が、資金ギレで「脱落」を余儀なくされてルサンチマンたまったりする場合だ。こゆひとたちが、反資本主義運動をやっているというのなら、よく分かるし共感もするんだけどねー。

*1:定価で買えば3万以上するルイ・ヴィトンの財布。無論「なんちゃってヴィトン」率も高いんだけど、フェイクが精巧であればある程に、そうしたハク付ブランド=権威資本という意味が、いとも簡単に消費によってくつがえされるってことなんぢゃあないだろうか。