連帯する為の〈個〉

この場合の解決法としては平たくいえば、抱え込んだ既得権益(資本)か自己理想をを捨てるかのどちらかであるが、ま、どっちも捨てられないと。だから第三の道オルタナティブ」を模索するってことで、とりあえずの自己保留。で、なすすべもなく保留期限ギレ、と。したらコジレの元の既得権益文化資本+社会資本+経済資本)を全面肯定するっきゃナイっすな。そして、どーしても階級労働運動をするというなら幸先に、そゆ既得権益無き労働者(ホームレスにはならないで底賃金労働に従事する底学歴下層階級)と自己を、無視してないで、他者(このひとたちの労働搾取の上に生きている自己)としてきちんと対峙することだ。
して一番触れられたくない部分(親族資本使いまくり=資本独占)に対しては、改めて〈個〉として自己(商品)価値=自己資本を〈個〉に表示して(だから表現の問題なのだ)、堂々とその対価を貰えばよい。その交渉過程を当事者同志が納得してれば、それはそれで取引成立なのである。そしてその手段とした取引分ダケ、自己は責任を持てばよいハナシである。大ブロシキな思想信条と〈個〉が自己の中で不可分だから、掲げる大フロシキの内容を達成できえない自己にけつまずく。
目的は手段を正統化しない。その責任も持てないのに、中途半端に援助を受けようと誇大壮語するから、他者の批難(=世間)にカリカリしてコジレるか、過剰に自己防御しようとしてファシズムぶりを晒すんである。
「資本が、〈帝国〉が…」ってデカくて小難しーことをオルグする熱意の前に、どーでもいーけど自分のアタマのハエをどーにかせんかいぃ(=説得力無し!)ってことだね。