他者

そんな自己愛カップルなんかほっとけ、とは思うが、ハナシは身内がヤタラ介入してくるのである。無論それは、周囲がお膳立てしなくては回らない生活を営んでいるこの夫婦の成立ちかたにもあるのだが、この夫婦、なにしろオレ様自己中なので、お膳立てされて当然と思ってる。
この夫も妻も、理想をアイデンティティとしているが、「愛されて当然」という夫と「愛し愛されて当然」という実務家でありかつ理想家である妻では、より妻の方が主体理想度?が高い。それだけ夫は時折感じる妻のより高い理想からくる意志の強さ=主体を恐れてもいる。
周囲、特に夫側の身内は、そんな「当然」づらする分をわきまえない妻が気に入らない。が、しかし事の真相を直裁に語って諭すことは出来ない。と、するとあとは暗黙の了解的な圧力で妻はひたすら追い込まれて、渡る世間は鬼ばかり橋田寿賀子ドラマなノリにもなる。が、これが渡鬼で終わってしまわないのは、文学ならでわ。他者という視点があるからである。
夫には、「自分は人に厭がられるために生きている」という満州に食いぶちを求めにいく落ちぶれたインテリ友人がいる。この二人の関係は面白い。共に相手を軽蔑しているのである。軽蔑しても友人関係をつないでいるということは、軽蔑しうるからこそ、もっとも御互いの本質を理解している唯一の「他者」として、しいてはちょっかい出す身内周囲を含めたブルジョワ階級という立ち位置基盤を照らし出す「他者」として、御互いが必要になっているのである。そして妻をもっとも理解して、あやぶむのも、またそんな彼なのである。