求愛される首

元はそれだけのことが、ワイルドの手にかかると「いとしいヨカナーン(洗礼者ヨハネ)」と生首に語りかけ愛撫するハナシと転じる。そしてその語りかける主は、少女ではない。無垢なんかではない、反対の磁力をもった女である。どうしてそうなったのか。
問題は、褒美に「首」をねだる母親、こっちの方である。そしてワイルドは首を切られるヨハネに自分軸を置いてたに違いない。そしてマルコ伝は「盆にのった首」が王の前に到着してどうしたのか書かれていない。娘が盆に乗せてはこんだという記述もない。それは画家たちが作り出した。そしてそれをワイルドは「求愛され愛撫される首」と拡大したのだ。
愛撫される首は、しかし、その切り取られた身体と共に、一切を断絶している。それが故に一層、聖なるものに近づく。モローの絵では、首は盆に乗ってなくて、宙に浮いて光り輝いてる。栄光ある破滅、それこそが、もっとも萌える瞬間。*1
そして、サロメは見かねたヘロデ王に殺されてワイルドのハナシは終了。

*1:モロー以前でも、サロメのいない「(盆にのった)ヨハネの首」だけをモチーフとした絵画が沢山描かれている。