武士の没落

前回id:hizzz:20050510江戸も明治も構造の変遷はあんま変わらんとカキコしたが、無論大きな変化がある。建前上「士農工商」から「四民平等」になった文明開化で、武士は「平民」化したと同時に、廃藩置県秩禄処分により全国的に失業。
しかし大変なのは明治政府も同様であった。薩長派閥ダケでは、全国統一するには人材不足。それに加えて不平等条約を何とかする為に西欧文明を吸収しなくちゃならない。薩長以外の有能人材の育成と登用が急務となる。
そこで官立学校が各地に出来た。元々武士は勉強し教養を身に付けることが自己ライフとなっているのだから、学問教授というスタイルにはなんの違和感もない。それに加えて、政府の要求する公務的職業につくのが、政府のお墨付き身分=知的支配階級である証であり、其れ迄の生活スタイル/信条からすると最も違和感がない。
幕末加賀藩の御算用者・猪山家数代の家計簿を追った『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新』では、武士の体面の為に借金が年収の2倍という破綻*1の中で、身分制度変化には「算術」にかけて生活を切り盛りしてくさまと、親戚筋武士のサバイバル模様が読み取れる。
新知識=西欧学問を身に付けさえすれば、即、生活の糧となった時代が来たのである*2
官立学校が出来、財産や家など出自関係なく自分の能力でその学校さえ出れば学歴が生涯身分保障となる「立身出世」がスタートした。そしてそれは武士以外の他の三民にとっても、学校=学歴は、出自をシャッフル/リセットして立場を上位移動加能(=知的支配階級身分)にする、新たな身分制度装置なのである。
これは、明治〜大正〜昭和と続いた。あ、タレントの有名幼稚園/小学校への「お受験」騒動とか見ると、今でも続いているか。

*1:幕末になるにつれて多くの下級武士の家計は、身分特権による収入も、家格/武士の「体面」を保つ為の「身分費用」がかさんで破綻していた。そうしたコトからも、武士内部要請での「御一新」でもあった側面が、一連の維新政策が成功した原因となる。

*2:無論、幕末からそういう機運が高まっており、中には藩をあげて勉学奨励した迄はいーが、成果上がらない者には家禄半減するという罰則をもうけたダイハードなトコがあったという。ヒー。