6.議会外左翼

日本という閉ざされた空間で、議会外左翼たちが、「革命はいつやってくるのか?」「変革の担い手となる階級はどこにいるのか?」と問いつつ、68年革命的な「中産階級の文化的ラジカリズム」を担う中産階級ドロップ・アウト組をいくら探そうとしても、見つかるのは、(種々のマイノリティ以外は)上のようなコジれたり挫折してヘタレた「死屍累々」の「メンヘル系」ばかりだったのであり、それゆえ、日本左翼の<段階論>は自らの目論見に適うような階級(トライブ?)を何も見出すことができないまま、なし崩し的に進む「右傾化」「保守化」に対してただ危機感を募らせていくだけとなっていった(少しイジワルな見方をすれば、グローバルな規模で生じたネオ・リベラリズム的な反動改革の攻勢は、このジャパン・ローカルの問題から目を逸らすことを左翼に対して可能にさせたとも言えマス)。その結果、現存の社会に対してあくまでアンチの姿勢を貫こうとする日本の(議会外)左翼界隈は、次のような構図を描くようになりマス。
まず、ラジカリズムの性急な追求によって傷つき挫折した当事者たちは、以降はもっぱら恐縮して「反省」し始め、その「反省」の深化・継続に賭けるようになりマス。誤解のないように言っておきますが、自分はこの選択自体に何ら問題ないと思っていマス。ただもどかしいのは、当事者の反省の語りを聞く者たちが、挫折を一個の動かしえない悲劇や宿命へと高めてしまい、そのことに応じて、語る側ももっぱら道徳的誠実さを求めるようになって、良心的に恐縮し続けること自体が目的化してしまうということデス(この問題については、いわゆる「反省ばかりする永田洋子」をめぐって北田本でも指摘されていましたが)。だが反省本来の目的は、ラジカリズム追求の挫折経験の追想を通じて、当のラジカルな姿勢を、未来へとより深化させ鍛えていくことにあったのではないでしょうか。このことができずに、当事者の恐縮した姿勢(これこそが日本的な「転向」の形態なのでしょうが)ばかりが伝えられるから、ラジカルな姿勢に対する忌避が益々一般化してしまい、しまいには、ただそれに妥協するかたちで、現存社会を批判する運動に従事する側も、露骨なイメージ操作をし始めるようになりマス。つまり挫折や傷痕の問題を裏側に抱えながらも、それを表に出さずに、自分たちは「過激派」(この言葉が、もっぱらテロルの暴力を行使する者たちしか指さなくなってしまったのは大変示唆的デス)とは何の関係もない、「フツーの市民」の集まりであるかのようなフリをして、ラジカル志向に対するアレルギーを刺激しないよう細心の注意を払うようになるわけデス。その結果いったい何が生じたのか?――それは、運動の断絶化というものデス。何か大きな出来事が起こるたびに、新たに危機意識を持った者たちが、現存の体制を何とかしようとする運動のうちに大挙して参入してくるわけですが、その際彼/女たちは必ず、「自分たちは、古くてコワい運動体とは違う。あくまでフツーの市民、素人の立場のままで新しくてしなやかな(!)運動を立ち上げるのだ」と意気込むのデス(かつての「ピース・ボート」から最近の「チャンス!」に至るまで)。そしてこの意気込みは、上のような、ラジカリズム追求の挫折の傷を隠したい、いわば運動のベテランたちの隠微なイメージ操作によってお墨付きを与えられるに到り(その際、「ニューエイジ」的なものが操作のための意匠としてよく使われてしまう)、傲慢な素人意識、新しいことをやってるゾ意識が大手を振って歩くようになってしまいマス(「プロ市民」化?)。こういう意識の跋扈は、正直言ってホント有害このうえないことだと思いマス。なぜならそれによって、過去の運動の蓄積を踏まえ、それを未来に引き継いでいくのを当然と見なす土壌の形成が妨げられてしまうのですから。その結果、イメージ・レベルのものでしかない「新しさ」だけを標榜する運動だけが間隙的に現れるようになって、運動経験や、そこで発せられた問いの共有、深化が殆どなされないままになってしまいマス。このような日本の惨状を前にして、文化的・政治的ラジカリズムの追求に忠実な原則的な左派たちはあきれ果ててしまい、ある者たちはユーロの、現存の体制に抵抗するのを当然と見なす土壌がちゃんと存在し、そのうえで、様々な試みが継続してなされてきた(その結晶が、反グロ運動の盛り上がりだと思いますが)状況をうらやましく思って、もっぱらそちらの方にのみ目を向けるようになり、また他のある者たちは、決して連赤のような挫折・袋小路が必然的なものだったわけではなく、日本の左翼運動にもそれ以外の可能性はいくらでもあった筈だなどと呟きながら、同窓会的な眼差しで、運動が盛り上がっていた頃の昔の回顧へとひたすら沈潜していきマス…。