7.左翼と文化運動

以上のような日本の議会外左翼の状況は、場所的・時代的特殊性を考慮して「階級闘争ヤンキー」を「動員」しようとする左翼的<段階論>が、現在の日本では完全に失効してしまっていることをよく表していると言えマス。そして、このことを誰よりもよく判っていて、しかもそこに大きな文化史的意義を見出しているのが、実は大塚英志なのではないかと自分としては勝手に考えているのですが…。彼は、ラジカリズムの挫折意識の蔓延化から齎された、“日本ではあらゆるイデオロギーや思想はしょせん意匠=記号にしかならない”というシニカルな閉塞意識こそがオタク的なものの起源に位置すると主張し、その観点から、現在、世界標準だ、「ベネチア・ビエンナーレ」だなどと騒いでアキバ系文化を持ち上げている者たちを、オタク的なものの<起源>にあった不毛や閉塞を忘却して批評性を喪失した、無邪気な者たちに過ぎないと見なして、厳しく批判していマス。その批判そのものは首肯できるんですが、しかし問題は、大塚が不毛意識や閉塞意識を持ち出してくるのは、もっぱら若いオタク世代(第3世代?)をいじめるときだけで、それ以外のときは別のものを持ち出してくるということなんですよネ(この首尾一貫性のなさがホント胡散臭い)。別のものというのは勿論、不毛意識や閉塞感を土台にして花開いた80年代のサブ・カルチャーのことなわけデス。最近では彼は、そこに存在していたリベラルな精神を守るために、啓蒙主義者を自認して、サブ・カルチャーの開花を可能にした戦後民主主義の空間を露骨に擁護するようになっていますが、しかし日本の戦後民主主義の空間などというものは、アジアの近現代史を扱うポスコロ研究者たちが強調してやまないように、しょせん、東アジアの戦後冷戦体制の上にあぐらをかきながら、そのことを隠蔽して、閉じた空間での平和幻想に浸っていた歴史のあだ花に過ぎないわけですから、そんなものをいくら擁護しても自らの世代体験の特権化にしかならず、決して啓蒙などできないと思いマス。では、なぜ大塚が持ち出してくるものにこのようにブレが生じてしまうのかと言うと(オタクの起源に存在する閉塞感か、その上に開花した、オタク文化もその内に含む80年代的サブ・カルチャーか)、それは、彼がスピ的なもの(例えば田中美津的な身体知)に対して強い嫌悪感を抱いているからでしょう。挫折感や閉塞感の中で政治的・文化的にラジカルな姿勢をあくまで維持しようとすると、代償的にスピ的なもの(神秘主義的なもの)を召き寄せ、それに活路を見出そうとしマス。つまり、それに別のかたちでの批評性や希望を託していこうとするわけですが、殆どの場合はただ非政治化して(あるいは体制内化して)、状況に鋭く介入するようなエッジを失っていったり、ときには蒙昧性の方に落ちてしまいマス。不毛意識や閉塞感に真正面から対峙すると、このようにスピ的なものを召き寄せて蒙昧化(「トンデモ化」?)に足を掬われてしまう危険性が高まるから(現在、この問題と対峙しつつあるのは宮台真司なのではないか?)、大塚は、80年代的なサブカルの起源に存在する、そういうネガティヴな(「ネクラ」な?)意識に一応目をやりつつも、それをそのままベタに自らの立場として選び取ることだけは避けたのでしょう。