観察

最初はグ〜、、、モトヒ、まず観察である。ゼロからモノやコトをつくりだすことが、言葉のほんとうの意味での「クリエイティヴ」=創造であろーが、もうほとんどそゆことはあり得ない。
そしたら数多の凡人は、まず事象をひたすら観察して、観察眼を養うことからすべてが始まる。見たいトコだけ見るというのは、観察とはいわない。部分と全体の構造とそのバランスをつかむことである。それでようやく部分=見たいトコがどーなっているのかが「判る」。判って初めて、それをどーこーしようかという策が立てられる。
正統的芸術系や伝統芸能系で最初に徹底的に仕込まれるのは、五感をつかった観察方法の身体訓練が主になる。なんで薬缶だの三角錐だのアグリッパだの延々ダサイ題材デッサンしなきゃならないんだとか、これは初心者には概して評判悪い。そのあまりの退屈さで、訓練を止めてしまう者もいる位である。音楽では楽曲を演奏する時、その譜面のわずか一音一休符でも、それが楽曲としてのどのような意味をなしてそこに存在しているのかが理解できていないと、たとえ初見で譜面通りのリズムや音程を出していても、それは「流した」こととなり、曲が仕上がったとはいわれない。機械体操で超D級難度の技でも完成するのには、過去の自己の演技テープを繰り返しみて、どこがまずかったか、それをどーすればよいかということを明確にさせることだという。自己の演技のイメージが細部まで自分の頭の中で明確になりさえすれば、それで技は完成出来るのだという。無論、その「どうする」ということに対応出来うる身体機能があればこその完成ではある。が、しかし、自分の身体がどう動いているのか観察把握するということが大前提としてある。
観察把握とは、いわゆるコツをつかむということであろう。コツを誰かに伝授してもらうということが可能な場合と不可能な場合があるが、そのコツ通りにしてるかどうかというのも自己観察眼を作動して初めて判断出来うるものである。やってるつもりで出来てないっての、ありがちだし。観察→判断→仮説→立証という基本的プロセスの習得である。