近代知の不幸=幻想のアジア

ところで日本の第9条「戦争放棄」は、対外的にはドコに向かってなされているのだろうか?侵略したアジア諸国と米国かなぁと、旧日本の中韓への戦争犯罪告発が盛んゆえ、それを引き寄せて思ってきたが、どうももう一つしっくりこない。
なんだろ? それは、敗戦相手の連合国は西欧(赤化した中国/ソ連は、西欧にとってはオリエント=アジアだ)という事実を過小視していたことでもある。が、占領政策の中で憲法策定された時は、当然、中韓よりも西欧連合国的視点の方が大きいのではないだろうか。だとしたら、第一義的には連合国に向かってると考えてもおかしくはない。
亜細亜*1というくくりは、日本/大和にはもともとナイ。日本の外部は、「支那」とか「朝鮮」とか、西方の彼方は「天竺」、南の彼方は「南蛮」。オレ様中華はもとより朝鮮半島にだって、そんな概念ナイ。自分達のエリア"Occident" とそれ以外 "Orient"でカテゴライズ、それは西欧が意識した世界観だった。自分達と違う未知の世界オリエント=アジアを自分達の知性で把握し「理解」することによって、ようやっと普遍理論=世界観が統合完成する。
科学的理性と万物流転の神秘「東西文化の融合」、そんな西欧の夢「理性の正しい使用」id:hizzz:20060921が最も最先端文明思想として、西欧近代化するアジアに逆流されたにすぎない。「亜細亜はひとつ」それこそが日本が世界に出て行く先として、理念を具現化歴史化しようとした。とまれ、それが枢軸国であろうが連合国であろうが、あの時代、ロマン主義のハテの帝国主義的熱狂に突き動かされていた。それは、近代の反語としての反近代とその統一の夢の具現化、そんなオリエント思想を結実させるプランとして編出されたのは、八紘一宇大東亜共栄圏、そこで日本は世界ならぬセカイに呪縛された。
戦争放棄」を明文化しとかなければならない不幸とは、侵略の凄惨な事実と共に、あの戦争を日本は「大東亜戦争」と考え自己を位置づけてしまったことが大きな背景としてあるのではないだろうか。以前に書いたとおり「美しき国」と「禍黄論」*2の間、西欧ー東洋という西欧の世界観(唯一真理=普遍的理性)を学び引き受け、西欧に追い付け追い越せ一等国となろうとしつづけた、極東国という意味で。いま、「平和憲法」と「日米軍事同盟」の間で、西欧=一等国=国連常任理事国になろうとする野望が捨てきれないのならば、「戦争放棄」、このような戒めも又重しとしてはずすことは出来ないのかも、、、しれない。

*1:フェニキア語が語源と言われている

*2:この「恐怖」は元々日本でなく「韃靼」、「タタールのくびき」がユーラシアに与えた民族大移動の衝撃から由来してるのだろうが