近代的「婦人」モデルの賞味期限切れ

1852〜1986年『婦人生活』、1920〜1988年『婦人倶楽部』、1946〜1993年『主婦と生活』と次々休刊していった4大婦人総合誌の内最後まで残った1917年(大正6年)年創刊『主婦の友』が、この5月でついに休刊だとか。
近代モダンの中で「女性」とはどのような位置にあればよいのか、その生活モデルを提示し続けたのがこれらの役割だったのであろう。戦後復興と共にサラリーマン&「専業主婦」の核家族を最先端とする生活スタイルの変化と共に、衛生的なシステムキッチンを利用し肉や脂を多用した栄養ある新しい料理の提案や、新年号特大付録・家計簿(ホーム・エコノミー)での合理的貯蓄&消費生活(家付カー付ばばあ無+白家電三種の神器)の提案など、最盛期1970年上半期には72.23万部を誇ってた。武田京子が『婦人公論』で「主婦こそ解放された女性像」とぶちあげウーマンリブとの第三次主婦論争が勃発、「主婦」黄金期を迎える。
が、それも2007年上半期7.53万部迄落ち込んだ。1971年に主ターゲットを「専業主婦」とネーミングしたのは『主婦の友』なのだが、その層は高齢化&減少し*1、現在「主婦層」と一口にいえどもその生活スタイルの多様化が進む中、広告媒体としてももうはや「婦人総合誌」という切り口はそのセグメント効果があまりにも望めないということが大きい。社冠雑誌の意地でこれまでなんとか保ちつづけてきたが、昨今の雑誌媒体ビジネスモデルが崩壊していく中、いまさらラグジュアリーにもクラースにも引き上げられない「婦人」というコンセプトの賞味期限切れ。
無職女性は「家庭婦人」、社会的仕事に従事してる女性は「職業婦人」、寺院に住む僧侶の妻は「寺庭婦人」*2。しかしそんな言い方、成人女性をセグメントする言葉としての「婦人」がそもそも1990年以降徐々に使われなくなってきた*3。俗にアグネス論争とも呼ばれる第四次主婦論争・専業主婦VS有職女性が勃発しフェミニズムが台頭する。
さて「婦人」とは、文字通り女偏に箒「家事する女」を指す。千本暁子『制度としての「女」―性・産・家族の比較社会史』によると、内職も家業もしない「主婦」が大量に出現したのは工場労働者が急増した大正時代であり、昭和初期には家長1人の収入で家計を賄う俸給生活者が増えたからだという。しかしそれを差別用語とする「男女同権」リブ&フェミは無論、「性的役割分業」家事=女性の仕事的イメージ自体そのものが、家庭第一保守派も含めて今や当事者達から敬遠されてる。家事仕事や子育てといった家庭内ダケがアタシの人生じゃない、個人として長き生涯90余年をもっともっと色々楽しみたいという素朴な欲望に、立ち位置としての「婦人」なんてのは、社会的にもあまりにも狭い場所だからだろうなぁ。

*1:当の『主婦の友』は1978年には「脱・専業主婦」論を展開。パート女性が専業主婦を逆転しはじめたのは1984

*2:浄土宗、日蓮宗臨済宗

*3:1988年、大阪豊中市「婦人」を「女性」に改称。1993年、労働省も改称。