議論を断絶する本質主義

また、ガンとして自己の無謬性への言及をゆるさない本質主義によって言説の中身を覆い尽くすような曖昧な言質も、相互批判にならない。セクシュアリティを本質とした数多のジェンダー論争の如く、それぞれのたこ壺でアイデンティティ政治化する。たとえ本質主義を基としてたとしても、自分の陣地から出てきてイーブンな姿勢で、対立するそれをきちんと対論しているところの事象と繋げて説明づけがなされないと、後がつづかない。
以降は別欄の話だが、だからnichijo_1 さんが纏めた「本来の武士道」を聞いた*1。がそれが何故か「定義の多様性を言っておきながら、「明確に定義できないことを、どうやって相互批判するのですか?」という二重矛盾 @nichijo_1」ということに。が、「イク・イカナイ」や「男女」と同じく「本来の武士道」という「本質主義」は、明治期の「創られた伝統」と同じく江戸期の「創られた伝統」もしくは著者観・武士道ではないのかと、きちんと著書指定し=定義してコメント当初から批判したので、矛盾はなくむしろ二重のたたみかけ。しつこい。これ程明確な問いかけなんですがね。意味わからないらしいから、こんなに説明。>単行本『武士道に学ぶ』、逆襲シリーズ本『神道の逆襲』*2 *3
http://d.hatena.ne.jp/nichijo_1/20080225/p1


なんであれクローズドでの書き捨てのようなコメントに対して、当人の知らぬところで展開するのは不徳とするところなので、当該記事にトラバして反論してみました。

議論のしかた 岩田宗之
http://iwatam-server.dyndns.org/software/giron/giron/

*1:ここで内容展開しないのは当ブログでさんざん展開した話題ゆえ

*2:菅野本は2冊既読しているので「検索だけで理解したつもり」には当たらないですよ。散々主張してる理由故により、これら読めとは奨めません(笑)

*3:この神道本と当該著書との関連をこれ以上ない位簡潔に書いたコメント自体を即効消去したのは、何故(笑)?