追補3 範囲限定でしか成り立たないとお認めに?

上記への反論として、ポスト構造主義構築主義でないと理解できないとnichijo_1さん。ですが、本質とされるものや付与のものをアンダーソン『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』ホブズボウム『創られた伝統』として脱構築している筈そのポスト構造主義構築主義からみても「本来の武士道」を根拠とした不思議は一向に解消されず、また上記の「「出されるだけの女たち」は何故、議論がはじまらないのか?」にあげた当方の疑問点を「批判の方向性が違う」と抽象的に言うだけでは、アバウトすぎてまったく説明になっていないです。
そしてまたもや判らないのは○○主義を理解してないからと主義依存して下駄をあずけて、「どう方向が違う」のか具体的に明確に論じてませんしね。でそれではnichijo_1さん以外、誰も判らないので、相互批判になりませんわなぁ。。。いやしかし、そんなに面倒くさい範囲限定でしか成り立たない人を選びまくる議論なら、それこそ最初からきちんと範囲限定すべきですね、とワタクシ最初からいっている命題を、いつのまにか前提にすり替えてしまっている循環論法をnichijo_1さんは繰り返しているだけですよ。<上記1〜4検討ポイントと次ページ武士道検討への具体的な反論がないかぎり
《》内引用での「言いたいことが重要」ってことなら、主張方向は相互批判に向いていないのでは?批評の自己主張が足りないってこと???で、ポモ&カルスタのタコ壺が山程できたそれって、立ち位置政治以外には何の役にたつのかな?