婦女子の発見

んがっ、女芸が公的に駆逐されるのに反比例?してか、鈴木春信(1725〜1770)の庶民を扱った錦画、美人画春画が大流行した。少年・少女を包摂したそれは、一見しただけでは性別が分らない程に繊細でユニセックスな世界である。それはなにも少年・少女だけではなく、中高年であろうとも同質の価値を持つ。この春信もそうではあるが、浮世絵や錦画でエロスを発揮しているのは、着物なのである。直線構造の布が一旦、身に纏われると、生地のドレープが文様が色彩(かさね)が、身体曲線を描いていくのである。春信は、遊女が白い衣をまとった箇所を印刷せずにラインを空押しだけして和紙の質感を表面に押し出して、艶めかしさをいっそう強調するなど、いたるところきめ細やかに贅をつくした手練手管ぶり。見えない身体にそのつど見える形を与えるものが着物であることが、ここでは意識されて表現の多様性を生みだしている。ネタにされる古典はもはや元の文脈から離れて、「合わせ」コラージュとして浮遊している。河原者の絵は描かないと宣言した春信の描くユニセックスな女子供は、日常のちょっとしたしぐさで鑑賞者の視覚をくすぐる。
身分制を突き抜けて集った江戸の有閑町民・知識人たちが、最先端技術と贅をこらして採算度外視してこしらえるソレは、「眼でさわる悦び」であった。
画面では男性と女性はまったく対等に相対して、歌会したり睦んだりしているが、男女比がアンバランスで、女芸は禁止され性接触の大半が売春に限られた江戸で、有閑町人でない庶民のはけ口は、また別層の浮世絵となるのであろう。無論「色子」は昔からあったものであるが、それは行為する嗅覚や触覚であって、視覚的表現物としては意識されないものだった。しかし、それを改めて「視る」という形式に落とし込むということは、とりもなおさずその生身の対象から距離ができたということにもなりはしないだろうか。
ワタクシは彼に、今日的な少年・少女趣味表現の勃興を見てるのではあるが、どーであろうか。そういう階層も含めて、一口に江戸といっても一元化されずに、幾層の階層文化が並行していたに違いない。