身体観察とリアリズムの関係

てなことで、ユニセックス風俗に突入してる江戸町人文化であったが、その身体感は、『九相詩絵巻』や『六道絵』にみられるように、最後は散骨してバラバラになって土灰に帰る「ただの虚構」でしかない。生身=肉を超越した「無我」「空」の思想。我アートマンは存在しない。んなところに、将軍吉宗が技術導入の為に解禁した蘭学本、『ターヘル・アナトミア』が。
世界にあまねく光をもたらすというギリシャ・ローマの精神=西洋観念は、西洋人にとって未開の地を開拓し西洋流に一元化されて世界はしかるべき=マクロコスモスであるし、神に似せて造られている人体もあまねく切り開き調べること=ミクロコスモスが、神を知ることにつながるという、科学神学であった。神学であるから、骸骨にだって筋肉にだって神聖がやどる。かくして、「しなをつくる骸骨」とか「ポーズをとる筋肉」とか「自分で自分を解剖切開してみせてる恍惚」というような日本的感覚からすると妙な人体解剖図画が量産される。無論、江戸はそんなの関係ねぇ状態。
小石元俊『平次郎臓図』:解剖存眞圖
http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/09-000910/09-000910.html
アンドレアス・ヴェサリウス『ファブリカ』
http://www.nlm.nih.gov/exhibition/historicalanatomies/vesalius_home.html
そんな蘭学によって、「人体の最終形態である骸骨」という概念が、江戸にもたらされた。日欧の解剖図の書き方で違いが出ているように、対象の全体性を以て物事を考える日本はあくまでも解剖された人体=死体はモノでしかなかったが、蘭学のそれによって、内部解剖観察=リアリズムという手法が移植された。春信の錦絵に影響を与えた人物に、平賀源内(1728〜1780)がいる。多芸多才な源内は、様々な著作の他に絵まで描いている。また、大槻玄沢と共同でエッチングの腐食液を発明した司馬江漢(1747〜1818)は、春信の弟子で春重と名乗っていたこともあり、現在では日本初の銅板画・西洋画家として知られているが、彼の本願は地理学者であったという。『司馬江漢の研究朝倉治彦 そんな江漢は、遺作『天地理譚』で脊髄の重要さについて書き、世界をめぐる帯が赤道であることを論じて、かくしてミクロな身体はマクロを通関させて、国家的身体に成長する礎となる。
医学解剖と美術教育 西野嘉章
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/02/20400.html