百聞は一見に然り

種子島にたどりついた2丁鉄砲から、国産鉄砲をこしらえた刀鍛冶のケースのように、その道具の原理・概念を理解するより精密仔細に部品を観察反復すること=視覚的実証アプローチによって形態模写する職人的身体技能仕儀が、国内では元々身についていたのである。
前回書いたように、蘭学・解剖学による人体の内面というものがポップアップ・ストーリー絵本とでもいうべき「黄表紙」によって可視化流通されたが故に、内・外という意識が初めて江戸人にもたらされ、内面秩序それが『石田心学』によって重要視されたココロというメタファーで庶民に迄普及したのであった。
このような視覚的態度のあくなき追及は、博物学的収集を経て蘭学がもたらした西欧の度量衡的態度にクロスしたのである。長幼の序を超えた仕儀に「親の間違いを子が指摘できる」と、司馬江漢は感激した。画法については、狩野派を始めとした粉本主義(お手本画を写生)の筆法・筆意・筆勢=花鳥風月の意境を問題とするのと違って、蘭画は対象をありのままに写し取る正確さの追及という今までになかった概念を目的としているそのことに、江漢も平賀源内も興奮したのであった。それはなにも江戸だけではない。京に於いても、西欧遠近法をとりいれた「めがね絵」*1こさえたりした円山応挙や、鶏に執拗にこだわった若冲に見られる意境の花鳥風月ではなく対象写生としたとき、それではキリスト教に帰依しない写生する自分の客観的意=秩序はどこに存在しているのか、画を描く自己とは何か、ということがその後の問題となっていく。<オリジナリティ、近代主体問題

   
丸山応挙『波上白骨座禅図』   アンドレアス・ヴェサリウスファブリカ*2
さて、視覚の悦楽のあくなき追求をしていけば、いかに多色刷りであっても所詮平面図なだけではものたりなくなってくる。あさがお市なぞで珍種を愛でるがごとく「菊人形」から始まって見世物小屋が全国を巡回興行するようになり、「籠細工」「からくり人形」、江戸末期には「生人形」といったフィギュアが次々と制作され、「草紙」で広まっている浄瑠璃・歌舞伎や怪談・猟奇物など*3名場面のジオラマ仕立となり評判を呼んだ。
安本亀八『相撲生人形 野見宿禰当麻蹶速』1890年
見立てから精巧・リアルへといったそんな庶民の娯楽は、明治の「見世物」博覧会にひきつがれた。そしてそれが、近代「日本美術」の始まりとなる。
江戸末期浮世絵に見る 視覚のモダニティ 堀じゅん子
http://www.hokudai.ac.jp/imcts/imc-j/imc-j-5/j5hori.pdf

*1:凸レンズの付いた窓から中を見る「覗きカラクリ」箱に入れた風景画。遠近法をつかって細密に描かれた画面が半立体的に感じるので人気があった。

*2:坂井建雄『謎の解剖学者ヴェサリウス

*3:「昔の化け物は昔の人にはちゃんとした事実であったのである。」「科学の目的は実に化け物を捜し出す事なのである」@寺田寅彦「化け物の進化」