「美術」という西洋近代思想

贅をつくした美術品は、西洋に於いても為政者の政治力と結びつくことで「お宝」として魅力を倍増して神人一体な威力を発揮するものであったが、一点透視図なキリスト教社会から18世紀後半のブルジョア社会到来でそのかたちを変容させる。市民社会がもっとも重要視する普遍的価値に芸術が寄り添うことで、政治権力から切り離された芸術の自立が新しい神話として、様々なシガラミのある歴史を超えた超歴史な「美術史学」「美術評論」というジャンル立てすることでそれを支えた。しかし、佐藤道信『美術のアイデンティティー』によれば「「芸術」を普遍的価値とみなすここでの「芸術」概念が、そのまま過去に投射されたことで、じつは政治とはまったく不可分だった過去の美術の実態も、また同時に「芸術」を自立化させることで近代化された近代国家イデオロギー自身も、ともに隠蔽された」と指摘する。
そおんな新しい思想をもってアーネスト・フィノロサは、岡倉天心と共に「日本美術」の区分けを行う。天心の「日本美術史」は、翻訳言語たる「美術」成立には一切ふれることなく、原始からの造形史をもってして「美術」として物語ることで、意図された制度しくみを覆い隠した。「美術は独立すべきものに非ず。日本開化の一大元素となる可きものなり」とフェノロサはいう。美術の独立性は日本国民統合制度に沿うものという非独立性によってささえられるという表現の自由と公共性以前のワケワカメな状態は、ここから一歩も前進してない。>id:hizzz:20080412