「靖国」問題と詮議される謝罪のことば

1984年9月来日した全斗煥大統領の歓迎晩餐会での裕仁発言。

全斗煥韓国大統領歓迎宮中晩餐会天皇挨拶 裕仁 1984年9月6日
今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/cs59.htm

韓国メディアは「遺憾」の韓国語翻訳を、「謝罪:自分が犯した罪について許しを乞う」ではなく「謝過:過ちにつて許しを乞う」という意味で伝えた。日本語の「遺憾」は、自責と自然災害や他責の両方の意味を含んでいる曖昧な言葉であるとして、日中声明には日本国という主体が明確であるのにもかかわらず、この天皇発言は責任主体が不明確であると批判が噴き出した。
さらに藤波孝生官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」の「宗教色を薄めた独自の参拝形式をとる事により公式参拝は可能」を受けて、中曽根康弘が1983年4月21日「内閣総理大臣たる中曽根康弘」として公式参拝官房長官談話を出して1985年8月15日には戦後初めて終戦記念日靖国公式参拝を行ったことが、中韓の不信に輪をかけた。ただちに人民日報は「東条英機を含む千人以上の犯罪人を祀っている靖国神社への(日本政府各閣僚による)参拝」を、「日本軍国主義による侵略戦争の害を深く受けたアジア近隣各国と日本人民の感情を傷つけるもの」と強く非難。9月中国政府が「アジア各国人民の感情を傷つける」と首相公式参拝に懸念表明し、「A級戦犯を祀っている靖国参拝」を政府閣僚がしないように申し入れた。ここで78年に合祀されていた「A級戦犯」が、詮議の俎上にあがってきた。10月に自民党靖国神社A級戦犯の合祀取り止めを要請したが、神社側は拒否。そんな経過の果てに翌年首相参拝は見送りとなり、政府の公式見解が出された。

内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝に関する後藤田内閣官房長官談話 後藤田正晴 1986年8月14日
靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない
政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、明8月15日には、内閣総理大臣靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/dai2/siryo1_9.html

1986年5月「日本を守る国民会議」編の高校用日本史教科書が、近代日本の立場を強調しているとして議論を呼ぶ。5月中国外交部が内容の正確性に「疑問」を呈し、アジア司長が抗議の覚書を駐日大使に渡した。
9月藤尾正行文部大臣が日韓併合は、韓国にも責任」と雑誌発言したことで問題は再燃する。さらに「今回の教科書検定問題に関連して文句を言っているやつは世界史の中でそういうことをやっていることがないのかを、考えて御覧なさい。こっちも認めるのはいいが、相手も認めなきゃ。」と歴史教科書問題にも言及した。首相は文相を更迭し、談話を出す。

内閣官房長官談話 後藤田正晴 1986年9月8日
藤尾文相の発言は、わが国が様々な機会に表明してきた過去の戦争への反省と、その上に立った平和友好への決意はもとより、近隣諸国との友好的かつ良好な関係の維持強化を図るとのわが国外交の基本政策について、無用の疑惑を生ぜしめせたものであって、はなはだ遺憾である。
韓国、中国等に対しては、このような事態にたちいったことに深く遺憾の意を表する。

30日中国外交部は、遺憾であるとしながらも「日本政府がすでに同発言をめぐる状況に注意を払っていることに照らし、これ以上は論評しない」とした。さらに9月21日訪韓した首相は、全斗煥大統領にも重ねて陳謝。
1988年4月奥野誠亮国土庁長官「(戦前は)白色人種がアジアを植民地にしていたのであり、だれが侵略者かといえば白色人種だ。それが、日本だけが悪いことにされてしまった。」が問題となり辞任。

1988年8月竹下登首相は訪中し、西安で講演。

竹下登内閣総理大臣西安記念講演「新たなる飛躍をめざして」 竹下登 1988年8月29日
過去の歴史に対する厳しい反省を出発点とし、日中共同声明、日中平和友好条約、日中関係四原則の精神に則って、日中友好協力関係の一層の強化発展をはかり、いかなることがあっても揺らぐことのない関係を築き上げるため、引き続き全力を傾注していくことを改めて表明いたします。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/19880829.S1J.html

竹下首相は1989年2月18日国会で、軍事同盟を結んでいたヒトラーがヨーロッパで起こした戦争をどう考えるかと問われ「過去の戦争に対してはこれは偶発的であったとか、これは自衛行為であったとかいろいろ議論があることは承知している。しかし、これを総括して侵略戦争だ、ということはやはり、後世の史家そのものが評価すべき問題だと思っている。」と答弁。国内はもとより中韓からも、いったい何時まで「後世」の評価を待たねばならないのか等の批難に、政府見解発表。

先の戦争に関する政府見解 小渕恵三 1989年2月20日
日本が過去の戦争を通じて近隣諸国等の国民に重大な損害を与えたことは事実。
2 戦前の日本の行為について、国際的には侵略であるという厳しい批判を受けているという事実を十分認識する必要がある。

1989年4月来日した中国の李鵬首相は記者会見で、天皇会見の中で明仁が日中両国間の歴史に触れ「近代において不幸な歴史があったことに対して遺憾の意を表する。」と述べたと発言し、これが天皇による中国への謝罪だと報道されるが、宮内庁をはじめとした政府機関は明言を避けた。
1990年5月来日した韓国廬泰愚大統領を迎えた晩餐会で、明仁は先の全大統領を迎えた裕仁の言葉を引用して以下のように挨拶した。

廬泰愚韓国大統領歓迎宮中晩餐会天皇挨拶 明仁 1990年5月24日
昭和天皇が「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない」と述べられたことを思い起こします。わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/ch02.htm

裕仁よりも踏み込んだ天皇&首相発言として、韓国では初めて好意的に受け取られはしたものの、「痛惜の念」がわかりにくいと批判された。
またこの時、海部俊樹首相は首脳会談で以下のように発言した。

日韓首脳会談 海部俊樹 1990年5月25日
過去の一時期に朝鮮半島の方々がわが国の行為により、耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直におわびの気持ちを申し述べたい。

1991年9月タイ訪問した明仁は、王室晩餐会で挨拶。

タイ国王主催晩晩餐会天皇挨拶 明仁 1991年9月26日
日本は、先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意し、この新たな決意の上に立って、戦後一貫して東南アジア諸国との新たな友好関係を築くよう努力してきました。

「反省・謝罪」を避け「痛惜」よりも後退した表現とメディアには受け取られ報道された。