問題収集のボールを投げつつ様子見

1991年5月東南アジア歴訪した海部俊樹首相は、シンガポールにて演説を行う。

ASEAN諸国訪問における海部俊樹内閣総理大臣政策演説 海部俊樹 1991年5月3日
今年は,太平洋戦争の開始から50年になります。この節目に当たる年に,私は,あらためて今世紀前半の歴史を振り返り,多くのアジア・太平洋地域の人々に,耐えがたい苦しみと悲しみをもたらした我が国の行為を厳しく反省するものであります。我が国民はそのような悲劇をもたらした行動を2度と繰り返してはならないと固く決意し,戦後40数年に亘り,平和国家の理念と決意を政策に反映する努力をしてきました。日本の国際的貢献への期待が高まっている今日,我が国民一人一人がアジア地域ひいては国際社会の平和と反映のために如何なる貢献ができるかを考えるに当たって,何よりも先ず日本国民すべてが過去の我が国の行動についての深い反省にたって,正しい歴史認識を持つことが不可欠であると信じます。私は,我が国の次代を担う若者達が学校教育や社会教育を通じて我が国の近現代にわたる歴史を正確に理解することを重視して,その面での努力を一段と強化することと致しました。
戦後,我が国は,平和憲法の下,専守防衛に徹し,他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないとの基本理念に立って,日米安保体制を堅持し,節度ある防衛力の整備を図ることにより自らの安全を確保してまいりました。我が国は,歴史の反省にたって,このような平和国家の理念を堅持して参ります。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/19910503.S1J.html

だが首相帰国後、坂本官房長官は「指導要領を見直す考えということではない。第二次世界大戦や、それよりさかのぼった時期について反省は必要という一般的な趣旨で言ったものだ」と早々トーンダウン。
55体制が瓦解し、政権交代した細川護熙首相は、村山政権の見解をひきつぐ。

所信表明演説 細川護熙 1993年8月23日
我々はこの機会に世界に向かって過去の歴史への反省と新たな決意を明確にすることが肝要であると考えます。まずはこの場をかりて、過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し述べるとともに、今後一層世界平和のために寄与することによって我々の決意を示していきたいと存じます。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pm/19930823.SWJ.html

日本の過去行為について初めて「侵略戦争」と表現。
1994年3月訪中した細川首相は、李鵬総理との会談でこの所信表明に触れた。

日中首脳会談 細川護熙 1994年3月20日
われわれは過去において我が国の侵略行為と植民地支配がアジア諸国人民に耐え難い苦難をもたらしたことに対して深い反省とおわびを表明する。日本は過去の歴史を反省することを踏まえて、中国と未来に向けた日中友好関係を樹立するため一段と努力する。

と、いいつつも、核実験の自制や朝鮮半島情勢への協力など中国へ注文をつけた。
1994年3月金泳三大統領が来日し、晩餐会で明仁は挨拶。

金泳三韓国大統領歓迎宮中晩餐会天皇挨拶 明仁 1994年3月25日
我が国が朝鮮半島の人々に多大な苦難を与えた一時期がありました。私は先年、このことにつき、私の深い悲しみの気持ちを表明いたしましたが、今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後我が国民は,過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を作り上げるべく努めて参りました。
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/ch10.htm

「痛惜の念」がわかりにくいと批判されたことに配慮してか、「反省」という表現が初めて用いられた。
つづいて首相となった羽田努は、所信表明で細川政権と同じ認識を表明する。

所信表明演説 羽田努 1994年5月10日
我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたとの認識を新たにし、これを後世に伝えるとともに、深い反省の上に立って、平和の創造とアジア・太平洋地域の輝かしい未来の建設に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき道であると信じます。

しかし永野茂門法務大臣「侵略行為という定義付けは間違っている」と発言。首相はこれを不適切であるとして法相に辞表提出させ、事実上の更迭となった。