形式と自由の動的循環

20世紀モダンの金字塔バウハウスからブランニューが育たなかったのは、ナチ台頭という時代変遷のせいばかりではない。モダンの名の基にユニバース化されようとしてる世界をデザインする為の教育制度という権威・形式主義が、ぶっちゃけモダンより旧式だった。バウハウス以後もそのような旧制度に芸術育成が依存したことに、欧州文化の限界があった。モダン芸術はアフリカ美学を「発見」したピカソのように、新たな創作のインスピレーションは、欧州文化の内部でなく外部で見出されるようになってきた。そのような芸術家の営為と、学問としての美術各分野を規定して教育することとの分裂は、なにも文化の違う極東日本ばかりな問題id:hizzz:20080731ではなく、「美術」ジャンルを規定した本家欧州アカデミズムでも起こったのである。沢山生まれた芸術運動&共同体が、全て1代かぎりで消滅していったのも、その分裂要因が解消されぬままに分散していったせいである。
神とか絶対支配者が無くなってしまえばそれを頂点とする厳格なヒエラルキーといった形式が成り立つ訳がない、王様・家臣は軒並み裸となったのである。革命ってそゆものだし。価値多様な世界が開けていく程に見えてくるその亀裂を埋める都合の良い方法論を探した時に浮上してきたのが、現象学的アプローチであった。そしてアカデミズムはそれに飛びついて、延命した。
概念上でしか存在できなくなってきた形式主義を、自由形式として現象学的なものを至る所で埋め込ませることによって、二項対立を抑えて形式権威の存続を図ってきた。それは、まず二項対立を設定し、それを新たなシステム(テクノロジー)がそれを克服するという弁証法、それがポスト構造主義が描こうとした根幹シナリオなのではないだろうか。
形式/自由だけでなく二項対立は、資本支配/搾取、国家/個人、需要/供給などあらゆる分野にパラフレーズされた。「開かれた○○」「新しい○○」といった、「○○(形式)は絶えず在野の自由流動的なものを汲み取って、より良い○○(形式)へと刷新する」というどこぞの政党スローガンのようなものとか。サブカルの「ニューエイジ」「サードチルドレン」などといったものもこれに類するだろう。